子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

子どもがいなければ

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寝付いたばかりの子どもの寝息をききながらくらい天井に目を凝らす。

仕事のメールの返信、学童に提出する書類の記入、夕飯の後片付け、やることは山積みなのだから一刻も早く布団から出てそれらに取り掛からないといけないのに動きたくない。というか動けない。

ずっと天井をみているとくらい天井がぐーっと自分に迫ってくるような気がする。

 

子どもの頃も眠れずに天井をじっとみていることがよくあった。

実家の天井の木目、豆電気の頼りないオレンジ色、妹の歯軋り、湿度の濃いあの部屋の畳の匂い、枕元においてある『ときめきトゥナイト』の蘭世と真壁くんが描かれた表紙を覚えている。

まさかあの時の心のまま大人になるなんてあの頃は思いもしなかった。まさかそのままの心で大人になって、そして老いるなんて。心がそのままなのは残酷なことだが、頼もしくもある。

積み重ねた年齢のずっしりとした重さは時には私の味方でもあるから。

それでも43歳になった今でも誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしい気持ちがどこかにあることを私は認めなければならない。

「心配いらないよ。大丈夫だよ」誰かがそういって私を安心させてくれはしないだろうかといつもどこかで待っているその救いようのないその幼さ愚かさを。

もちろんそんな人はいない。

いくら待ってもこない。ばかばかしい。

本気で必要としているわけではない。

なぜ私は漠とした空に手を伸ばし助けを乞うのだろうか。

こんなふうになったのはいつからだろうか。

子どもをうむ前はこんなだっただろうか。

いや、子どもをうむ前はこんなではなかったと思う。

これほどに孤独ではなかったからその必要はなかった。

 

勢いをつけて掛け布団を剥ぎ取り寝室から出る。

夕飯の片付けを、汚れた皿を予洗いして食洗機に入れるという私の大嫌いな作業をのろのろとする。

汚れた皿。

私が食洗機に入れないと永遠に遺跡になるまで汚れたままの皿。

息子の茶碗に残った米粒。

リビングに目を向ければテーブルの上は折り紙やワーク、色鉛筆などで雑然としている。

片付けないと。

食洗機の動作音がグイーングイーンとうるさくて耳障りだ。

 

祖母が言っていた言葉が蘇る「炊事や洗濯をお前がしないといけないようなおうちに嫁ぐんじゃないよ」

最初の夫が言っていた言葉を思い出す「料理はしたかったらたまにすればいいけど、掃除や洗濯はやめなさい。そんなこと君がすることじゃないよ」

祖母も最初の夫も眉間に皺を寄せて汚いもの触る子どもをしかるように私にそう言った。

今私が毎日毎日その炊事、洗濯に追われていると知ったらおばあちゃんはどんな顔をするだろうか。可哀想にと同情するだろうな。

最初の夫も今の私をみたら可哀想と思うかな。あの人は冷たいところがあるから家事育児に追われているシングルマザーである私をみたら眉を顰めて顔を背けて見なかったことにするかもしれない。河原のホームレスを見た時と同じように。

彼の中の私は無垢で無鉄砲で世間知らずの苦労知らずでなければならなかった。いつもそんなふうにコンパニオン役をやらされることが嫌で仕方なかった。

 

リビングのテーブルの上をざっと片付けてから息子のランドセルを開けて明日の時間割の教科書が入っているか、筆箱の中に鉛筆と消しゴムが入っているかチェックをする。連絡帳に見ましたよのスタンプを押す。

息子と一緒に博物館で買った埴輪のスタンプ。

息子といるのは楽しい。

私は息子が大好きだ。

 

それなのに私は何が「心配ないよ。大丈夫だよ」と言われたいのだろうか。何が不安なのだろうか。

どうして孤独なのだろうか。

私は息子を産んで幸せなのに。

でも産まなかったら?(こんなこと考えてはいけない)

産まなければもっと幸せだんだんじゃないの?(考えるな)

この子がいなければ私はもっと自由で苦労しないでもっともっと幸福だったのではないの?(そんなはずない。考えるな)

そうじゃないの?(うるさい。黙れ)

ねぇそうなんじゃない?(うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい)

 

「大丈夫。心配ないよ。この子がいるほうがあなたは幸せだよ」

「絶対?」

「絶対」

誰かがそう言ってくれたらいいのに。

誰か神さまみたいな人がそう言ってくれたら私はその人の足元に跪いて泣くだろう。

散らかった部屋、私が片付けないと永遠に散らかったままの部屋の壁には息子の描いた私の絵が飾ってある。「おかあさん だいすきだよ」とそこにある。

私も息子が大好き。

だから大丈夫も絶対もない世界で私はあなたを絶対に幸せにしなければならない。

 

 

欠けたまま

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ああ、世界が欠けてゆくと思う。

3月には大事なものが亡くなる。

3年前に自死で弟が亡くなり。

2年前に病気で姉猫が亡くなり。

1年前に突然私の最後の猫が亡くなった。

私の世界はどんどん欠けてゆく。

穴だらけで茫漠としたここはもう知らない世界みたい。

あなたさえいれば私の世界は完璧で完全だと言えた日もあった。

あなたはその時々で違ったけど、その時々で本気で世界は完璧だと言った。

恋の情熱がみせた錯覚でもその世界は美しかった。

恋は錯覚だけど、あの時みた世界の美しさは幻でなく本質だったのだと思う。だから恋は生きる為に必要なのだと確信している。

最初の夫と初めて並んで歩いた時、私の世界は完璧で完全だったなと思い出す。少しも欠けることなく膨張していったキラキラした私の世界を思い出すと笑える。あのとき私は最高に無敵だった。

息子の父親と旅行に行った北海道からの帰路、飛行機の中で彼の肩に頭を預けてうとうとしていた時も世界は完璧だった。

あの日あの人が着ていた柔らかいベストは今も私のクローゼットにある。遺骨みたいに。

恋は錯覚だから。錯覚は相手の感情なんて必要としない。自分だけがみたいものをみる。

だからこそ完璧で美しい。

そんなものは長く続かないけれど。

気持ちいいのはトリップしている間だけと承知でも。

長い人生を、重い人生を生きるのにかつて必要だったキラキラしたものは、もう私の人生には必要なくて、今は無惨に欠けて空いた穴が私には愛おしい。

埋まらない欠けはずっとそこにあるぽかりと空いた穴。

穴でもいいからそこにいてね。

もうなくならないでね。

今度こそずっと一緒にいて。そう思う。

私はずっと悲しい。

私はずっと欠けたままがいい。

キラキラした世界より私が生きたいのは欠けたままの世界。

幸福も完璧もいらない。

ふたりで幸せになろうと瞳孔が開いた目で訴える恋人に伝えたけど伝わらなかったことをここに記す。

 

 

午後4時の音

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夕方の4時頃になるとだいたい毎日、雨の日以外はだけど、マンションのうち廊下からカツン、カツンと杖をついて歩く音が聞こえていた。

内廊下に面した寝室にいるとその音はとてもよく聞こえ、ああ、今日もお隣のおじいさんが日課の散歩に出られるのだなとわかった。

猫が亡くなり固くなってしまった愛おしい子の生きていることろなんら変わらないふかふかの被毛に顔を埋めて叫び泣いていた日も、元夫が逮捕されたとの連絡を受けて呆然とした日も、恋人とひどいケンカをして頭から血を流しながら別れ話のシナリオを考えていた日も、時間になれば、カツン、カツンと音が響いた。

自分の人生とは関係ない場所で誰かが規則正しく生活していることは、私にいつも心の平安をもたらしたものだ。

杖のおじいさんには何度かお会いしたことがある。80代後半の柔和な老紳士で、いつも息子に会うと目を細めて「お利口だね」や「あたたかそうな帽子だね」など話しかけてくださった。息子はたいてい照れ臭そうに笑っていた。

年末に杖の音が聞こえなくなりひと月ふた月と過ぎ、床に臥せてらっしゃるのかと心配していたら今日ご近所の方からご自分で命を絶たれたのだと知らされた。

「かわいそうにね。ご家族の負担を気にしてのことらしいわよ」と。

駅前のパン屋のバゲットが前より小さくなったという話題の後に「そういえばね…」とふいにもたらされたその訃報に私は声を失った。

私が黙るといつもそうであるように息子が「お母さん、どうしたの?お母さん、どうしたの?お母さん、どうしたの?」と繰り返している声が耳に膜を張ったように遠くて、早く大丈夫だと、黙ってごめんなさいと、お母さん少し驚いてしまったからと応じてあげなくてはいけないのに1分くらい声が出なかった。

なぜだからわからないけれど私はその日からこんこんと長く眠るようになってしまって、それは今日に至るまで続いている。

暇さえあればすっぽり掛け布団を頭からかけてくうくうと眠る。

10時間寝ても15時間寝ても寝足りることはなく、横になると頭の芯がくーっと眠りに引き摺り込まれ奈落に落ちるかのように眠り、例外なく目覚めは悪い。

何通りもの悪夢をみてもうたくさんと思い目を覚ますと現実も悪夢さながらの様子なので目を覚ます毎に軽く絶望する。

自分ではどうすることもできない不幸な不愉快な理不尽な出来事で思考を占領するのは馬鹿馬鹿しいとわかっているのに考えてしまう自分の脳が憎らしい。

わかっていることは優しい老紳士はもういないこと。

私もいつかいなくなるけれどまだ生きていること。

生きているうちは絶望は続くこと。

しかし、必ず生活中には、生活の中にこそ、絶望をすり抜ける小道があること。

私は毎日の暮らしから目を逸らさないことで自分を傷つけられずに生きることができることを知っている。だから大丈夫。

 

午後4時になった。

杖の音はしない。

そろそろ息子が帰ってくる時間だ。

私はベッドから起き上がり、キッチンへ行く。

丁寧に手を洗って食事の支度に取り掛かる。

外からは子どもの笑い声がする。

息子がお友達を連れて帰ってきたのだろう。

私は絶望なんてこの世に存在しないみたいな笑顔で息子と彼の友達を迎える。事実彼らを前にすると絶望は飛散するから。

支配すること

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習い事のある日は息子が3時に帰ってくる。今日も「ただいま〜」と元気な声が玄関からきこえて、時計を見たらぴったり3時だった。

息子は帰宅するといつもまずは洗面所で手を洗い、それからいそいそと私の方へ来ると私のトレーナーの中にすっぽりと頭を入れる。私はいつもそのトレーナーの布地越しの息子の頭を撫でる。撫でながら「おかえりなさい。今日は学校どうだった?」と話しかける。息子は大抵質問には答えないでくすぐったそうに笑っている。

くつくつと笑いながら気がすむまで私のお腹に鼻先や頬を擦り付けるとトレーナーから顔を出す。

「は〜あったかかった!お母さんのお腹はあったかいね〜」

「うん」

「今日は寒いからバスで行きたいな」

「そうしようか」

私達は、息子が通うアートスクールに行くためにバス停に向かう。ふたりともダウンジャケットを着て、ニット帽を被り、手袋をして、あたたかくして手を繋いで歩く。冬にはしっかり防寒すること、安全のためにひと通りの多い道では手を繋ぐこと、私が教えたことを息子はしっかり守っている。それは良いこと、正しいことのはずなのに私の言うことなんて気にしなければいいのにという気持ちになる。

おかしいのだけど、息子が私を信頼して、言うことを聞くことに恐怖を感じることがある。

だってそれは私はこの子をいつでも支配できるということではないか。私はそれが怖い。

私は他人をコントロールすることに、支配することに長けていると精神科医に言われたことがある。まだ20代前半だったと思う。

当時はそんなこと医者に言われるまでもないと思った。何がいけないのだろうと。

私はそれまで交際関係にあった男性をことごとく支配してきた。彼らに対してあったのは愛情でも、恋情ですらなく、自分の虚しさを埋めるための支配欲だったと医師に指摘されてるまでもなく自覚していた。だから医師に「ああ、はい、自覚はあります」と答えて、医師は目を丸くしていた。私はそれを見て楽しい気持ちになった。

たぶんひとは大事なもののために健全な関係を築こうとする。関係を継続するために、相手との愛情を育むために。

だけど当時の私にはそのどちらもするつもりがなかった。私はただ一途に自分のことだけが大事で、ただ一途に自分の寂しさを満たすことだけを考えて、それが可能な男性を選びコントロールして自分の思い通りに支配できないと罵り別れた。相手の気持ちなんて少しも考えなかった。幼さもあったのだと思う。

最初の夫はそんな私に支配したりされたりしない関係を教えてくれた人だった。親子ほど歳が離れていたのもよかったのだろう。彼と過ごすことで私は初めて人との関わり、人の心みたいなものを理解するようになり、それは自分の心に目を向けることでもあった。

彼は私が彼を思い通りに動かそうと躍起になっても笑って身をかわす人で、私は全然敵わないからもうありのままの自分を曝け出してお腹を出した犬のポーズで降参するしかなかった。降参した私を最初の夫はたいそう可愛がってくれたからそれまで相手をコントロールするために使っていた手練手管を私はあっさり手放した。ありのままの姿で思う存分甘え頼るのはとろけるように気持ちよかった。

幼い頃から癇癪持ちの母と、気分屋の父の顔色を見て気を遣ってきた私のさみしさがしんしんと満たされて私は最初の夫と別れた。

「満月の夜は影が長い。僕はきみの長い影をみると不安になる。黙って離れていかないでほしい」

雪の夜に月に照らされた夜道を歩きながらそう言われ

「なんで?離れないよ」

と言って手を繋いだ。

最初の夫とは10年一緒に住んで、いくつも季節を共に過ごして、ずっと手を繋いで歩いて、別れる最後の夜も手を繋いで眠った。あまりにもたくさん手を繋いだから今もまだ彼の手の感覚をよく覚えている。骨張った大きな手。初めて繋いだ時は天にも昇る心地だった。あの血液が沸騰するような興奮と幸福もまだよく覚えている。思い出すと笑ってしまう。あの手は、骨になって今は骨壷に入れられてお墓の下にある。

出会った頃の彼と近い年齢になった今となっては最初の夫が私を可愛がったのは、愛しいからでも大事だからでもなく単に面白かったんだろうなと思う。あの若いなりふり構わないバカでさみしくて調子に乗った女が。

 

息子の手はふにふにで小さい。今はこの手を毎日繋いで歩いている。

「満月の夜は影が長いでしょう。お母さんね、長い影をみるとさみしい気持ちになる」

「へ〜俺はね、さみしいくないよ。お母さんと一緒に夜のお散歩するのは楽しい。お母さん、大丈夫。月は毎日かわるから明日には満月じゃなくなるよ。地球は動いてるからね」

「そうだね」

「うん。うちに帰ったら月の本を読んであげるよ」

「うん。じゃあ、おうちに帰ろうか」

「帰ろう!」

息子は私の手を引いて走り出す。息子の手は小さくて、ふにふにで、あたたかくて、力強い。

私の手をふりほどきどんどん走ってゆく息子をみて、息子は私に支配されたりなんかしないだろうなと思った。

 

ピンク色の小さな手袋

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忘れられない未明の風景がある。

それは児童公園に忘れられた小さなピンクの手袋と公園のところどころに残された黒ずんだ雪。

その日、私は婚約者の家から逃げ出し、ゆくあてもなく夜道を彷徨い歩いていた。

ちょうど今と同じくらいの時期、たしか1月だったと記憶している。

人通りのない大通り、歩道には前日に降り積もった雪が僅かに残っていた。黒ずんだ雪、誰かが作った雪だるまの残骸。

風呂上がりに思い立って家出を決行したから長い髪の先が冷たく湿っているし、化粧をしてない顔の皮膚が冷気でパリパリする。考えなしでこんなところに出てきてどうしようか。

黒ずんだ雪の上を歩くと凍って固くなっていた。寒い。

静かな街、誰も、誰ひとり通らない。この辺りは皆車で移動するから昼間も人通りが少ないもの。こんな時間に、残り雪が凍る寒い夜に人影があるわけないか。

当てもなく、でも勢いよく歩く。大きなお家、設備の整ったマンション、また大きなお家、児童公園。児童公園のベンチに座って凍えた指で携帯を操作して、少し離れた繁華街にあるネットカフェに目星をつけたのに、どうしてだか児童公園から動く気になれなかった。

ブランコ、馬とウサギの遊具、滑り台、砂場、ベンチが2台、それで全部の小さな公園。誰かが忘れたのだろう。ベンチには子どもの小さなピンク色の手袋が片方だけ置いてあって、この手袋に持ち主は今頃きっと暖かい安心な場所ですやすやと眠っているんだろうなと思った。

高台の小さな児童公園から1時間前まで住んでいたマンションを眺めた。大きなマンションには芸能人が何人も住んでいる、小説家や画家も有名な人が住んでいると斜向かいに住む奥さんが教えくれた。

そんなのどうでもいい。

あいつが住んでいるだけでどんな芸能人が住んでいようがあそこは私にとって忌む場所だ。

婚約者のあのニヤけた顔を思い出すと悪寒がした。

気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。

「気にしすぎだよ」

「男はみんなしてることだ」

「君はいい歳して潔癖で世間知らずだな」

「浮気したわけでもないのに」

「心が狭いなあ。それじゃあモテないよ」

浮気のほうがまだましだ。

お金で女を買うなんて。

しかもあんな高校生の制服のような衣装を着せて。

バイアグラまで取り寄せて。

もう40になるおじさんが。

ぞっとする。

「若い子にヤキモチ焼いてるんだろ。30代の女ってそうなんだよな。ばばあだもんな」

「ばばあ?あなたより7つ年下なのにばばあなの?不思議。私が風俗嬢が羨ましいと思っていると思っているの?」

「そうだろ。君は大卒だからそういう喋り方するの?可愛くないからやめたほうがいいよ。これはアドバイスね。怖い顔しないで、笑って笑って。女の子は笑顔笑顔」

言葉は通じなかった。

私は早々に相互理解を諦め、心中で別れを決めた。

そしてにっこり笑って「そうだね」と言った。

さよなら、2度と私の人生に関わらないでと思いながら。

穏やかな気持ちだった。

 

吐く息が濃く白い。

東の空がじょじょに明るくなってきた。

夜明け。

ピンクの手袋は持ち主が取りにくるだろうか。

婚約を破棄して私はこれからどうするのだろうか。

何もかもが茫漠としていたが、不安感はなく、心はしんと静かだった。

そして私はしんとした心のままで後日正式に婚約を破棄し、また他の人と婚約して結婚して子どもを産んだ。

今はその子の小さな手に手袋をはめて児童公園で遊んでいる。

婚約者は亡くなったと昨日知らせがきた。

かつての婚約者の顔はさっぱり思い出せないのにピンクの小さな手袋と汚れた雪は妙に精彩に覚えている。

そんなはずないのにあの公園のあのベンチには今もまだあのピンクの手袋があるような気がした。

 

 

淘汰の日

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お風呂から上がり寝るまでの時間は、息子とのんびり過ごす幸せなひととき。いつも絵本を読んだり、トランプをしたり、私が即興で作った童話を話したりする。

今日は息子が「お母さんの子どもの時の写真がみたい」と言ったので押し入れから古いアルバムを出してきて2人でページを捲った。

七五三の、遠足の、家族旅行の、笑顔の、顰めっ面の、かしこまった顔の幼児の頃の自分の写真。

子どもの頃の写真を見ると、こんな頃から私はなんて長く生きているのだろうと時間の重みにくらくらする。

42年も生きていることが間抜けでやりきれなくなる。命が鬱陶しくなる。

寝そべりながらアルバムを覗き込む息子のそのはちきれんばかりの白い肌と艶々の髪、瞳の輝きは新しい命の美しさを私に見せつけて私に老いの自覚を促す。

醜い老婆になった自分を確認したい気持ちが抑えてきれなくなり息子が歯磨き用にしている鏡を急いで手に取って顔を映してみるとそこにはごく平凡な中年女が映る。

白い肌、豊かな黒髪、目尻に皺はあるものの老婆とはいえない自分の顔。まだ生きる気満々みたいな健康そのものみたいな幸せそうなぷりぷりの顔に笑いそうになる。

私は健やかで幸せで老いはごく自然なことなのに、何を恐れているのだろう。

私に老いは醜い忌むものだと思わせたのは誰だろう。

 

「お母さんの子どもの頃のお顔は僕のお顔に似てるね」

「ね」

「これ何?小屋?」

「鶏小屋だよ。昔ね、ここでニワトリを飼ってたの」

「へ〜ニワトリかあ。なんて名前だったの?」

「ふふふ、名前なんてないよ。ペットじゃなくて家畜だもん。産んだたまごを食べたり、お肉を食べたりするために飼ってたんだよ」

「お肉を食べたの?殺して?」

「そうだよ」

 

すっかり忘れていたけれど、私の子どもの頃、実家では淘汰の日というのがあった。

淘汰とは飼っている鶏を絞めること。淘汰の日とは、鶏を殺して食べる日。

その頃、実家には3棟の鶏小屋におおよそ40匹の鶏がいて祖父の母がその世話をしていた。

実家が養鶏を生業としてたわけではなく、多趣味な祖父が趣味のひとつとして鶏をどこから譲り受け増やしていたのだ。

淘汰するのは歳をとった雄鶏で、雄は卵も産まないし、歳をとると他の雄にいじめられて羽をむしられて地肌が見えた体は見窄らしくて痛々しいものだったので淘汰は可哀想というより、終わらせてあげるという意識が子どもながらにあった。

淘汰の日は、可哀想な見窄らしい命を終わらせてあげる日。

 

淘汰の日が近づいていると感じる。

淘汰の日。

どうして気が付かなかったのだろう。

別れを決心した人の顔を思い浮かべる。

気持ちはすっかり固まっている。

祖父のようにうまくできるだろうか。

見窄らしい痛々しい命が苦しまないようにすぱりと刃を振り落とせるだろうか。

私は。

出刃包丁を握るゴツゴツした血管の浮き出た祖父の手。

庭石に落ちた鶏の血の鮮やかな赤。

古い、でも鮮やかな記憶を暖かな布団の中で思い出す。

「お母さん?」

「ん?」

「どうして泣きそうな顔してるの?」

「泣きそう?大丈夫だよ。眠いだけ」

「もうすぐお父さんと会えるの楽しみ」

「そう。久しぶりだもんね」

「お父さん、もう元気になったかな?病気治ってたらいいね」

「ね」

「お父さん、救急車に乗る時、お母さんの名前呼んでたね。何回も」

「うん」

「お母さん、泣いてるの?お父さんが心配?」

「大丈夫。もう大丈夫だよ」

そう、もう大丈夫。

決めたことだから。

淘汰の日がくる。

私がそう決めた。

終わらせないとかわいそうなものを終わらせよう。

 

救急搬送

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ガガガガガガガガ

MRIの耳元で道路工事音されてるみたいな音に起こされて一瞬だけ意識が浮上する。

頭が割れるように痛い。

心臓の鼓動に合わせて後頭部がガンガンと痛む。

救急車で病院に搬送され、看護師に名前を尋ねられる前にもう「痛み止めをください」とお願いしたのにまだ痛み止めは貰えていない。悲しい。こんなに頭が痛いのに。

ストレッチャーに乗せられたままに病院内のあちこちに連れて行かれ、あちこちでさまざまな検査を受けて、その間ずっと頭が割れるように痛い。

ストレッチャーで運ばれながら検査を受けながら時折痛みで意識が飛ぶ。

意識はゆめうつつの中に落ちて漂う。

(私はお花屋さんに行きます。あなたはこれから戦争へ行ってください。私はここに花の種を蒔きます。ねぇきいてる?どうしていつも私の話をきかないの?どうして無視するの?ねぇ?ねぇわかった?ねぇあなたどうして救急車に乗ったの?どうして息子をつれてあなたも救急車に乗ったの?やめて。いやだから降りて)

 

ガガガガガガガガガガ

再び、音に起こされ目を開く。

目前に白いものがある。私は細長い筒状の機械の中に寝そべり上へ下へと動いている。

ああ、まだMRIが終わらないのか、長いなと思う。

痛い頭で考えても、元夫がどうしてあの場にいたのか、どうして救急車に乗って病院までついてきたのかわからない。

あの人まだ病院にいるのだろうか。

これが終わったら帰ってほしいと伝えてもらおう。

頭が痛い。

それに言葉が出てこない。考えがパラパラと飛散してまとまってくれない。なんだか頭が頼りない。

これずっとこのままだと困るな。

一時的なものだといいけど。それにしても頭が痛い。

あの人どうしてついてきたのだろう。

かすかに救急車に乗り込む時の思い詰めたような、苦しそうな元夫の顔が浮かぶが、それが現実のものなのか私が脳内で作り上げたものなのかがわからない。

元夫だけじゃない息子もついてきたのだ。

痛みで立つことも歩くこともできず、救急車に乗せられても痛さのあまりに嘔吐を繰り返すだけの私に息子は「お母さん、このシートベルトどうやってしめるの?」と尋ねたのだ。

こんな状態でも私はこの子の面倒を見なくちゃいけないのか、質問に答えてやらないといけないのかと思うとぐっと喉が詰まり目の前が暗くなった。

どうして息子を乗せたの。

どうしてあなたもついてくるの。

やめて。

ひとりにして。

降りて。

今はあなたたちの世話ができないの。

そう思って口をパクパクしているうちに救急車はサイレンを鳴らし走りあっというまに病院に着いた。

 

MRIを終えて検査室の外に出ると幾分か頭の痛みがマシになっていた。いつの間にか左手の甲に点滴の針が刺されている。これが痛み止めなのかもしれない。

 

ストレッチャーのまま医師の診察を受けた。脳の血管が詰まっているとのことだった。

MRIで撮った私の脳の断面を指差し、医師が「ここ白くなってるでしょう。ここの血管が詰まってます」と言った。

「そうですか」

そうか、血管が詰まると頭が痛くなるのか。

「それでですね。詰まりをとる治療というのを進めていかないといけないので、このまま入院してもらってですね」

入院。入院はできない。息子がいるし、元夫は留置所から出てきたばかりだし。

私が身許引受人になることを条件に出してもらったのだから入院なんてできない。

そういうと医師はでは入院は3日後からにしましょうと言ってくれた。

そして部屋着の私に私物のジャージを着せてくれた。

「これで帰れますよ」と私の後ろに立ち右腕と左腕をそっと袖に通して前にまわるとファスナーをあげてくれた。小さな子供にするように。

私は脳の血管が詰まって小さな子供程度の知能になったのかもしれないと少し心配になったけれど、医師に尋ねるとそうではないらしかった。

医師に借りたジャージを着て、痛み止めを処方されてタクシーで自宅に戻ると元夫がいた。

私のことをとても心配している様子だった。

私もあなたをとても心配したんだよと言いたかった。

やっぱりまだ頭が頼りなくて言葉がうまく出てこなくて言えなかったけど、私もあなたをとても心配したの。

心配して心配して電車を乗り継いで留置所に行って、あちこち手を尽くして出てこられるように頑張ったの。

心配したの。

言葉が出てこないからじっと元夫の目を見た。

元夫も私の目をじっと見た。

その目は私の知っている目で、それは、そこには私にはわからないけど確かに彼の感情が宿っていて、私は、あ、と思った。

私がどうして留置所に行ったのか。

元夫がどうして救急車に乗ったのか。

私達は、家族なのかもしれない、そう思い至った。

そうか。

離婚したのに。

離婚したのに、病める時も健やかなる時にも、富める時も貧しき時も、私達は助け合ってる。馬鹿みたいに。自分のことより相手のために必死になって。

息子がいるからだろうか。

それとも単に愚かだからだろうか。

私達はなんなのだろう。

「心配してくれてありがとう」と言った。それ以上の言葉は出てこなかった。

家族なんていいものでもなんでもない。いたらいいってものでもない。煩わしいし諍いの元にもなる。私もこの人もお互いの嫌でたまらない部分を知っている。

それでも心配だし、困っていれば助ける。当然のように。

家族。

そうなのかもしれない。