息子が寝付いた後に、寒気がしたからインスタントのコーンスープを飲んだら、不意に心が紐解いてしまった。
ああ、やってしまった。これはもう泣くか叫ぶかだ。泣くか叫ぶか。泣くか叫ぶかして満タンになった何かを逃してあげないと狂ってしまうから。
床に散らばる息子のおもちゃが目の前にぐんと迫ってくる。その存在感は北方ルネサンスの絵画みたい。北方ルネサンスの絵画が写実以上の写実だとされるなら、私の目の前に迫るのは、現実以上の現実。
ものが部屋が現実が迫ってくる。
目を逸らしていた現実が。
ああ、そんなのに向き合ったら狂ってしまうから、急げ、急げ、急げ、急げ、はりーあっぷ、Hurry up、ハリーアップ、頭がぐわんぐわんするよ。
ねぇどうしよう。
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、
電話だ。
友達だ。
普通に話した。
仕事の愚痴を聴いて、最近見た映画の話を聴いて、爪が長い彼女のために毎朝コンタクトレンズを入れてあげている話を聴いて、大きな水槽を買った話を聴いて、「○○くん、残念だったね」と言ってくれたのを聴いた。
友達は実家の近くに住む幼馴染なので、弟を知ってる。
「頭がぐわんぐわんする」
と言うと
「熱を計れ」
と言われて計ったら、発熱していた。
「熱ある」
と言うと
「寝なよ」
と言われた。
「うん」と答えた声は掠れていた。
電話は切れた。
もう床に散らばったおもちゃは目の前に迫ってこない。
切り抜けた。
ぎりぎりだったけど切り抜けた。
安心して泣いた。
私はまだ安心できる。
急いで何をしようとしてたの?
どこにも逃げ場はないのに。
でも弟を知ってる人にその死を悼んでもらえるとね、少し大丈夫になる。
弟は悼まれてる。
皆の記憶にある。
その事実は、私の心を救ってくれる。
床のおもちゃを片付けて、洗い物をして、息子の寝顔を見てから、眠りについた。
到底乗り越えられない死に向き合うこと。これからも続く。