子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

子どもがいなければ

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寝付いたばかりの子どもの寝息をききながらくらい天井に目を凝らす。

仕事のメールの返信、学童に提出する書類の記入、夕飯の後片付け、やることは山積みなのだから一刻も早く布団から出てそれらに取り掛からないといけないのに動きたくない。というか動けない。

ずっと天井をみているとくらい天井がぐーっと自分に迫ってくるような気がする。

 

子どもの頃も眠れずに天井をじっとみていることがよくあった。

実家の天井の木目、豆電気の頼りないオレンジ色、妹の歯軋り、湿度の濃いあの部屋の畳の匂い、枕元においてある『ときめきトゥナイト』の蘭世と真壁くんが描かれた表紙を覚えている。

まさかあの時の心のまま大人になるなんてあの頃は思いもしなかった。まさかそのままの心で大人になって、そして老いるなんて。心がそのままなのは残酷なことだが、頼もしくもある。

積み重ねた年齢のずっしりとした重さは時には私の味方でもあるから。

それでも43歳になった今でも誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしい気持ちがどこかにあることを私は認めなければならない。

「心配いらないよ。大丈夫だよ」誰かがそういって私を安心させてくれはしないだろうかといつもどこかで待っているその救いようのないその幼さ愚かさを。

もちろんそんな人はいない。

いくら待ってもこない。ばかばかしい。

本気で必要としているわけではない。

なぜ私は漠とした空に手を伸ばし助けを乞うのだろうか。

こんなふうになったのはいつからだろうか。

子どもをうむ前はこんなだっただろうか。

いや、子どもをうむ前はこんなではなかったと思う。

これほどに孤独ではなかったからその必要はなかった。

 

勢いをつけて掛け布団を剥ぎ取り寝室から出る。

夕飯の片付けを、汚れた皿を予洗いして食洗機に入れるという私の大嫌いな作業をのろのろとする。

汚れた皿。

私が食洗機に入れないと永遠に遺跡になるまで汚れたままの皿。

息子の茶碗に残った米粒。

リビングに目を向ければテーブルの上は折り紙やワーク、色鉛筆などで雑然としている。

片付けないと。

食洗機の動作音がグイーングイーンとうるさくて耳障りだ。

 

祖母が言っていた言葉が蘇る「炊事や洗濯をお前がしないといけないようなおうちに嫁ぐんじゃないよ」

最初の夫が言っていた言葉を思い出す「料理はしたかったらたまにすればいいけど、掃除や洗濯はやめなさい。そんなこと君がすることじゃないよ」

祖母も最初の夫も眉間に皺を寄せて汚いもの触る子どもをしかるように私にそう言った。

今私が毎日毎日その炊事、洗濯に追われていると知ったらおばあちゃんはどんな顔をするだろうか。可哀想にと同情するだろうな。

最初の夫も今の私をみたら可哀想と思うかな。あの人は冷たいところがあるから家事育児に追われているシングルマザーである私をみたら眉を顰めて顔を背けて見なかったことにするかもしれない。河原のホームレスを見た時と同じように。

彼の中の私は無垢で無鉄砲で世間知らずの苦労知らずでなければならなかった。いつもそんなふうにコンパニオン役をやらされることが嫌で仕方なかった。

 

リビングのテーブルの上をざっと片付けてから息子のランドセルを開けて明日の時間割の教科書が入っているか、筆箱の中に鉛筆と消しゴムが入っているかチェックをする。連絡帳に見ましたよのスタンプを押す。

息子と一緒に博物館で買った埴輪のスタンプ。

息子といるのは楽しい。

私は息子が大好きだ。

 

それなのに私は何が「心配ないよ。大丈夫だよ」と言われたいのだろうか。何が不安なのだろうか。

どうして孤独なのだろうか。

私は息子を産んで幸せなのに。

でも産まなかったら?(こんなこと考えてはいけない)

産まなければもっと幸せだんだんじゃないの?(考えるな)

この子がいなければ私はもっと自由で苦労しないでもっともっと幸福だったのではないの?(そんなはずない。考えるな)

そうじゃないの?(うるさい。黙れ)

ねぇそうなんじゃない?(うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい)

 

「大丈夫。心配ないよ。この子がいるほうがあなたは幸せだよ」

「絶対?」

「絶対」

誰かがそう言ってくれたらいいのに。

誰か神さまみたいな人がそう言ってくれたら私はその人の足元に跪いて泣くだろう。

散らかった部屋、私が片付けないと永遠に散らかったままの部屋の壁には息子の描いた私の絵が飾ってある。「おかあさん だいすきだよ」とそこにある。

私も息子が大好き。

だから大丈夫も絶対もない世界で私はあなたを絶対に幸せにしなければならない。