息子が生まれてからずっと心がけていることがありす。
彼の前で穏やかであること、笑顔でいること。
誤魔化さないこと、誠実でいること。
息子が安心できる親でいること。
私の母は非常に感情的な人で、気に入らないことがあれば、自分の不機嫌をとにかく撒き散らすために、ヒステリックに怒鳴る、物にあたる、大きな音を立てる、殴る、摑みかかるということが毎日のようにありました。
母にとっては自分の機嫌が何より大事で、周りはもっと自分の機嫌に敏感であるべきだと考えているようでした。
「ああ〜イライラする!」
「お母さんの顔みたらわからんか?」(わからないか?)
「もっとお母さんのことを考えて動きや!」(動きなさいよ!)
今から思えば、軽度の知的障害とADHDの傾向が強い母は自他の境界が曖昧だったのだと思います。
自分の思い通りに他人が動かないと気が済まない母。
母の思い通りに動かない私を「キチガイ」と罵る母。
これは今も昔も変わりません。
そういえば、弟が自殺して、さすがの両親も少しは弱るかしら?と思って帰省したのですが、全くそんなことはなく、母は葬儀屋、親類、近所の人、弟の友人、もちろん私にもキレ散らかし、あわや通報かというところまでいっていました。その燃え盛るようなパワーは私の幼少期から変わらず、最愛の息子の死、しかも自殺、すら彼女のゴーゴーとした不機嫌の炎を消すことができないのだと唖然としました。
父も、通夜と葬儀ではしんみりとしていたものの、四九日の法要の席では、仕事関係の方とくだらない話をし、下品な冗談で狂ったように笑っていました。
まるで弟の死なんてないかのように。
こんな両親の元で育ったので、私は人の顔色を伺うクセが随分大きくなるまで抜けませんでした。
子どもにとって親の不機嫌は恐怖以外の何者でもありません。
私のせいで親は不機嫌なんだ。
私はダメな子どもだ。
私が悪いんだ。
怖い。
早く終わって。
逃げたい。
居場所がない。
私が悪いんだ。
子どもの頃は、怒り狂う母に壁際に追い詰められ、髪を引っ張って顔を上げられ、顔に唾をかけながら、私がどれほどダメで頭がおかしく、母にとって忌むべき存在かを何時間も聞かされた。
時折「これからどうすればいいかわかる?」などと質問が挟まれ、答えを間違うと母は般若のような顔になり説教の時間が延びた。
母がキレる原因は、私が友達と遊び妹と遊ばなかった(妹はすぐに癇癪を起こすので遊びたくなかった)、祖母が作った夕飯をおいしいおいしいと2度も言った、せっかくブラウスを買ってきてやったのに成長してサイズが合わない…など本当になんでもないことでした。
そんな母を私は嫌いでした。
幼児の頃は恐怖でしたし、成長して分別がついてからはからはうんざりでした。
まただよ。
狂ってる。
そう思っているが顔に出てしまうと、母は私を「心がない」「冷たい人間」「頭がおかしい」と言いました。
母親のようにはなりたくない。
私は絶対に不機嫌で息子を支配したりしない。
そう思って、私は息子の前でいつも穏やかで、フラットな母親でいました。
夫が双極性障害で閉鎖病棟への入退院を繰り返し借金で自宅が差し押さえられても、夫が出て行っても、お金がなくなっても、ストレスで体重が8キロ減り持病が悪化して入院を勧められてもお金がなくてできなくても、ヤクザみたいな不動産屋が靴のまま自宅に入ってきて怒鳴っても、私は息子の前では穏やかに微笑んでいました。
恐怖、悲しみ、痛み、困惑、そんか感情は微塵も顔に出さずに、いつものように「かわいい。大好きよ」と言い、息子への態度は変わらないようにと歯をくいしばって穏やかな声と笑顔をつくりました。
母のようにはなりたくなかったから。
しかし3月、弟の死の知らせがあった時、初めて息子の前で穏やかな母親ではいられなくなりました。
息子の存在が見えなくなりました。
電話で知らせを受けて、「うわー」と叫ぶ声がして、それが自分の泣き叫ぶ声だと気がつくのに時間がかかりました。
児童公園の砂場にヨロヨロと座り込み、砂にうずくまるようにして咽び泣きました。
息子がその時どこにいたかはわかりません。
ちょうどその時、公園に何かの撮影に来ていたカメラマンと何人かのスタッフが「何かありました?」と寄って来て声をかけてくださったのですが、ヒソヒソと笑う彼らに瞬時に憎しみが湧き「弟が死んだんです!放っておいてください!なんで話しかけてくるの?なんで?」と関係のない方に酷くイラついてひどいことを言いました。
普段から息子を連れていると知らない方に声をかけられることが多く、有難くもあるのですが、なんでこんな時にまで話しかけてくるの?いい加減にして!と思ってしまった。
息子の前で。
怒り狂う母を見せてしまった。
ああ、ダメだ、子ども、子どもの面倒をみないと…とフラフラと立ち上がって周りを見渡すと、息子は少し離れた遊具で小学生と遊んでおり、私が手を振ると笑顔で手を振り返してくれました。
そしてこちらに駆け寄り、一言「泣いてもいいんだよ」と言いました。
私が息子が泣くといつも言う言葉。
「弟が死んだの」
と言って息子の前で泣きました。
息子の前で初めて声を上げて感情のままに泣きました。