子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

死に際の女

「かしこくてかわいくて優しい私と出会えて結婚できたんだからあなたの人生ってこれからどんな悪いことがあったとしても最終的には最高の人生だよ」 20年前、西陽がさす寝室で私が最初の夫にいった言葉を思い出す。 有頂天だったのだ。 最初の夫は、大学の先…

子どもがいなければ

寝付いたばかりの子どもの寝息をききながらくらい天井に目を凝らす。 仕事のメールの返信、学童に提出する書類の記入、夕飯の後片付け、やることは山積みなのだから一刻も早く布団から出てそれらに取り掛からないといけないのに動きたくない。というか動けな…

欠けたまま

ああ、世界が欠けてゆくと思う。 3月には大事なものが亡くなる。 3年前に自死で弟が亡くなり。 2年前に病気で姉猫が亡くなり。 1年前に突然私の最後の猫が亡くなった。 私の世界はどんどん欠けてゆく。 穴だらけで茫漠としたここはもう知らない世界みたい。 …

午後4時の音

夕方の4時頃になるとだいたい毎日、雨の日以外はだけど、マンションのうち廊下からカツン、カツンと杖をついて歩く音が聞こえていた。 内廊下に面した寝室にいるとその音はとてもよく聞こえ、ああ、今日もお隣のおじいさんが日課の散歩に出られるのだなとわ…

支配すること

習い事のある日は息子が3時に帰ってくる。今日も「ただいま〜」と元気な声が玄関からきこえて、時計を見たらぴったり3時だった。 息子は帰宅するといつもまずは洗面所で手を洗い、それからいそいそと私の方へ来ると私のトレーナーの中にすっぽりと頭を入れる…

ピンク色の小さな手袋

忘れられない未明の風景がある。 それは児童公園に忘れられた小さなピンクの手袋と公園のところどころに残された黒ずんだ雪。 その日、私は婚約者の家から逃げ出し、ゆくあてもなく夜道を彷徨い歩いていた。 ちょうど今と同じくらいの時期、たしか1月だった…

淘汰の日

お風呂から上がり寝るまでの時間は、息子とのんびり過ごす幸せなひととき。いつも絵本を読んだり、トランプをしたり、私が即興で作った童話を話したりする。 今日は息子が「お母さんの子どもの時の写真がみたい」と言ったので押し入れから古いアルバムを出し…

救急搬送

ガガガガガガガガ MRIの耳元で道路工事音されてるみたいな音に起こされて一瞬だけ意識が浮上する。 頭が割れるように痛い。 心臓の鼓動に合わせて後頭部がガンガンと痛む。 救急車で病院に搬送され、看護師に名前を尋ねられる前にもう「痛み止めをください」…

私の家族は

髪を剃り落とされた青白い頭皮には蛇の腹のようななまめかしさがあった。 その陽に晒されたことのない色のない薄い皮膚におそるおそる手を触れると思いのほか弾力があったので、数回ピタピタと叩いた。 もう全然痛くない。 風呂場の姿見の前で午前中に皮膚科…

いい父親でいて

どうしてこんなにイライラしてるのだろう私は。 何に怒ってるのだろう。 こんなに。 理由もわからないのに上唇が微かに震えている。 弟のLINEのアイコンが変わり、他人の名前になった。それを確認した時から上唇はもう2時間も震えている。 息子の部屋をイラ…

どうして人は別れると思う?

「どうして人は別れると思う?」 恋人の家の心地よい浴室でさっき言われたことを考える。 「ここは窓があるからいいね」 もう何回か言ったことがあることを初めてみたいに気にせずに口に出す。今またそう思ったから。 私は人との別れに興味がない。今そこに…

猫の話

息子を寝かしつけてリビングに戻るとカーテンの外された窓がもわりと明るい。その明るさに一瞬たじろいだあとに、ああそうか、昼間カーテンを洗ってベランダに干してあるんだと思い出す。 東京の夜は明るい。特に引っ越してきたこのあたりは深夜でも窓の外は…

父の声

気に入ったデザインのお洋服があったので色違いで4着買った。 白、紫、黒、紺のラインのきれいなシンプルなカットソー。 気に入ったお洋服が手元にあるのはうれしいし、こころが落ち着く。 郵送で届いたそれらを段ボールから取り出してクローゼットに仕舞っ…

雨の日の下校途中

横殴りの雨が降る中を息子の手を引いて歩く。 傘はさしていない。マッキントッシュのゴム引きのレインコートにレインブーツを履いているから横殴りの雨も顔がびしょびしょになるだけて頭や衣服などの濡れたら不快なものはすっぽりと快適に守られているから平…

小学生のいる家

息子が小学生になってから家がどんどん実家みたいになってゆく。 そんなふうにするつもりなんて少しもないのに、気がつけば、ごくごく自然に滑らかにそういうふうになっていた。 冷蔵庫に貼られた給食予定表を手始めに和室には運動会使ったポンポン、リビン…

ヒサコさん

子どもの頃、確か私が小学2年生の頃までは実家にお手伝いさんがいた。 そのころのうちは、祖父、祖母、父、母、叔父、私、妹、弟と8人家族で、しかも祖父も祖母も父も母も叔父も仕事をしていたので、家事育児を担う人間が必要だったのだ。 お手伝いさんは、…

通り過ぎるだけ

パンっと眠りから弾かれたように目が覚めた。 時計を見ると午前4時で、隣では息子がスースーと寝息を立てている。その闇に浮かび上がる白い頬がぷっくりとしていて愛おしい。 弟が亡くなってから朝方こんなふうに眠りから覚めることが多くなった。 弟が亡く…

お月見

十五夜の満月が美しかったのでベランダでお月見をした。 お団子は売り切れていたので、バナナとヨーグルトを入れた小さな丸いパンケーキを焼いて蜂蜜をたっぷりかけて食べた。 狭いベランダに椅子を出して座る。隣には息子。 息子はパンケーキを食べ終わりポ…

草むらの夢

夢の中でこれが夢だとわかっている。そんな夢を見た。 「これは眩しいような緑ですね」 浴衣を着て縁側に座り死んだはずの前夫が私に言った。 目を向けると確かに庭に雑草がぼうぼうと茂りその緑は眩しいくらいに鮮やかだ。 「ほんと」 私は答えた。 前夫は…

声が出なくなる

「過去の僕の依頼者の相手方にもいましたよ。自殺した人。追い詰めた罪悪感はないですね。仕事ですから」 弁護士が笑顔でまるで冗談でも言うように話す。その口ぶりはどこか誇らしげでさえある。 武勇伝のつもりなのかしら。 「死んでくれた方がいい人はいま…

あやむるこころ

小雨が振り出した。開け放った窓から雨の匂いが入ってくる。秋の雨の匂い。ベランダではすっかり乾いたシーツが揺れているのにソファに横たえた体がずっしりと重く取り込みに行けない。 私はなんと涙ぐましいのだろう。 たった1人で戦って。 疲れ果てて。 成…

ヒヨス

ヒヨス、エンジェルトランペット、ハシリドコロ、すずらん、あじさい、彼岸花、毒草について調べている時だけ荒れた感情が凪ぐのを感じる。 息子がお絵かきする隣で図鑑を見ながら毒草を模写する。30色入りのクーピーで丁寧に描く。絵を描くのは子どもの頃か…

梅雨の散歩 夫への感情

「ハート!」 そういって息子が私と夫の手をくっつけてハートの形らしきものを作った。 公園へ向かう途中で、私達は、息子を真ん中にして3人で手を繋いで歩いていた。 「ハート!」 もう一度、息子が私と夫の手をくっつける。 うれしそうに笑って。 私も笑う…

プール掃除

ザッシュ ザッシュ ザッシュ 苔の生えたプールの底をデッキブラシで勢いよく擦ると苔は面白いほどよくとれて、鮮やかな水色の底が見えた。 保育園の休園中にプール掃除をしないかと息子のお友達のお母さんに誘われた時は正直気乗りしなかったけれど、初夏の…

ピンクの色水

いい母親になりたい。 優しい母親になりたい。 息子と仲良く暮らしたい。 話をよく聴いてあげる母親でいたい。 イライラしない母親でいたい。 意地悪な声なんて出さない母親でいたい。 まして怒鳴るなんてとんでもない。 そう思っていた。 そう思っていたの…

夜のお話

5歳の息子は夜寝る前に私にお話をしてもらうのが大好き。 お話というのは、私が即興でつくる童話で、ファンタジーだったり、ミステリーだったり、たまにホラーだったりもする。 息子は毎晩「今日もお話をして!」と私にねだる。 毎日のこととなると、何も思…

怪獣になりたい

早起きした息子と公園の原っぱを散歩しているとごおと風が吹いた。 遮るものが何もない大きな公園の人もまばらな原っぱで感じる風は、どんなに強くても、どんなに髪をボサボサにしても気持ちいい。 私の履いている長い緑色のスカートが勢いよくはためく。 広…

猫元気になりました

前の記事で死にそうだった猫、元気になりました。 肝リピドーシスの症状が強制給餌で改善したからだとの獣医師の見解です。 よかった。 取り急ぎご報告をさせていただきます。

ずっと温かい体で私の側にいてほしい

もってあと数日と今日獣医に言われた猫が私の胸の上でぐるぐると喉を鳴らしている。 電車を乗り継いで連れて行った大学病院の獣医師がもうここまできたら何もできないから最期はおうちでと言ったのだ。 「死ぬんですか?」 と尋ねたら獣医は口を噤んだ。 死…

始まりも終わりもないもの

この前、とても久しぶりに美術館へ絵を観に行った。 絵画と向き合うのは体力がいる行為なので、育児に仕事に疲れているここ何年かは美術館から足が遠いていたのだけど、なんだか無性に絵が観たくなりふらふらと電車に乗って行ってきた。 チケットを買って入…