子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

喪の作業

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あいも変わらず、弟の死を受け入れられずに七転八倒しています。

七転八倒しながらも仕事に行き、家事をし、育児をし、休日にはお花見に出かけるなど楽しい時間を過ごしたりもして、夫の優しさを嬉しく思ったり、息子と笑い合ったりと日常を生きています。

突き上げるような悲しみと喪失感と共存しながら。

 

それにしても信じられない。

信じられないのに悲しい。

こんな急に世界が終わるみたいなことがあるだなんて。

そして私は悲しんでいる自分を軽蔑している。

弟を救えなかったくせに。

軽んじていたくせに。

おまえが大事にしていたら死ななかった。

おまえはのうのうと生きてるじゃないか。

笑ってるじゃないか。

悲しいなら、ごめんと言うなら、首を絞めて死んでみろ。

できないなら泣くな。

かわいそうな姉に酔うな。

救えるのに救えなかったくせに。

 

 

 

学生の頃に一般教養の授業で「喪の作業」というものを習いました。

 

確かフロイトが発案し、イギリスの精神分析学者ジョン・ボウルビィ John Bowlby(1907-1990)が喪の作業を喪の4段階、或いは悲哀の4段階として具体的に記述し一般化したのだったと記憶していましす。


ボウルビィは、第二次大戦後の戦災孤児の調査や、乳幼児と親の関係の研究の成果を踏まえ、精神分析のみならず、動物行動学の知見の援用、統計的手法の採用等によって、喪の作業が4段階を経ること、さらにはどういう場合に喪の作業が失敗して病理を生ずるか、を明らかにしました。

 

参考文献 野田正彰『喪の途上にて』第3章(1992年刊、岩波書店)

 

 

喪の作業をご紹介します。

自死から私のブログに辿り着いた方のご参考になれば。

 

こころとからだの変化の後、年月をかけながら大切な人の死を受け入れる過程があります。これを「悲哀の営み」または「喪の作業」といい、4つの段階に分かれます。


第1段階:情緒危機の段階
大切な人の死は激しい衝撃となるため、直後数週間は、興奮したり、パニックになったり、無力感でいっぱいになったりします。「何かの間違いでは」「死んだことが信じられない」「今にも会えるのではないかと思う」など、大切な人の死を受け入れることをこころが拒否した状態や、「涙も出なかった」など感情が麻痺したような状態になることもあります。


第2段階:抗議・保持の段階
数ヶ月から数年の時をかけて、失った大切な人をこころのなかでなんとか取り戻そうとしたり、ずっと持ち続けようとしたりします。「まだどこかで生きているのでは」など、現実にはあり得ないと知りながら、さまざまな空想をします。また、この時期に怒りや不当感を感じることが多いです。「なぜこんな目にあわなければならないのか」といった不当感に加えて、「〇〇のせいで自殺したのだ」など怒りが他の人に向いて責めたくなったり、「私のせいだ」と自責感・後悔の念にさいなまれたりします。


第3段階:断念・絶望の時期
もはや失った大切な人が永久に戻ってこないという現実を認める段階です。絶望と失意に向き合うため、ひきこもるような気持ちやゆううつで無気力の状態となりやすいです。


第4段階:離脱・再建の段階
苦しい喪の作業を経て、大切な人の死を受け入れあきらめる段階です。失った大切な人からこころが離れ、自由になります。悲しみは残っているけれど、なんとか持ちこたえられるようになります。以前と同じという意味ではなく、苦しい体験を踏まえた上での新しい生き方や人とのつながりにもとづくこころのあり方を見出そうとします。以前よりも自分自身の人生を大切にしたり、他の人への思いやりが深くなります。
この4つの段階を少しずつ進みながら、時には行ったり来たりしながら、それぞれのペースで大切な人の死から回復していきくと言います。

 

私はまだ第1段階です。

そしていつか自分が第4段階に進むなんて信じられません。

だって楽になりたくないから。

受け入れたくないから。

 

もう4月11日なのに、あれ3月じゃなかったっけ?と何度も思います。

確か昨日まで3月だったのにって不思議に思うんです。

弟が亡くなった日から時が止まったみたいな感じで、何度もあれ?と思う。

 

天国なんて信じてない。

死後なんてない。

もうどこにもいないだけ。

 

でも確かにいたでしょう。

生まれてきて一緒にいたでしょう。

笑っていたでしょう。

楽しいこともたくさんあったでしょう。

楽しいことがあなたの天国だったらいい。