子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

支配すること

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習い事のある日は息子が3時に帰ってくる。今日も「ただいま〜」と元気な声が玄関からきこえて、時計を見たらぴったり3時だった。

息子は帰宅するといつもまずは洗面所で手を洗い、それからいそいそと私の方へ来ると私のトレーナーの中にすっぽりと頭を入れる。私はいつもそのトレーナーの布地越しの息子の頭を撫でる。撫でながら「おかえりなさい。今日は学校どうだった?」と話しかける。息子は大抵質問には答えないでくすぐったそうに笑っている。

くつくつと笑いながら気がすむまで私のお腹に鼻先や頬を擦り付けるとトレーナーから顔を出す。

「は〜あったかかった!お母さんのお腹はあったかいね〜」

「うん」

「今日は寒いからバスで行きたいな」

「そうしようか」

私達は、息子が通うアートスクールに行くためにバス停に向かう。ふたりともダウンジャケットを着て、ニット帽を被り、手袋をして、あたたかくして手を繋いで歩く。冬にはしっかり防寒すること、安全のためにひと通りの多い道では手を繋ぐこと、私が教えたことを息子はしっかり守っている。それは良いこと、正しいことのはずなのに私の言うことなんて気にしなければいいのにという気持ちになる。

おかしいのだけど、息子が私を信頼して、言うことを聞くことに恐怖を感じることがある。

だってそれは私はこの子をいつでも支配できるということではないか。私はそれが怖い。

私は他人をコントロールすることに、支配することに長けていると精神科医に言われたことがある。まだ20代前半だったと思う。

当時はそんなこと医者に言われるまでもないと思った。何がいけないのだろうと。

私はそれまで交際関係にあった男性をことごとく支配してきた。彼らに対してあったのは愛情でも、恋情ですらなく、自分の虚しさを埋めるための支配欲だったと医師に指摘されてるまでもなく自覚していた。だから医師に「ああ、はい、自覚はあります」と答えて、医師は目を丸くしていた。私はそれを見て楽しい気持ちになった。

たぶんひとは大事なもののために健全な関係を築こうとする。関係を継続するために、相手との愛情を育むために。

だけど当時の私にはそのどちらもするつもりがなかった。私はただ一途に自分のことだけが大事で、ただ一途に自分の寂しさを満たすことだけを考えて、それが可能な男性を選びコントロールして自分の思い通りに支配できないと罵り別れた。相手の気持ちなんて少しも考えなかった。幼さもあったのだと思う。

最初の夫はそんな私に支配したりされたりしない関係を教えてくれた人だった。親子ほど歳が離れていたのもよかったのだろう。彼と過ごすことで私は初めて人との関わり、人の心みたいなものを理解するようになり、それは自分の心に目を向けることでもあった。

彼は私が彼を思い通りに動かそうと躍起になっても笑って身をかわす人で、私は全然敵わないからもうありのままの自分を曝け出してお腹を出した犬のポーズで降参するしかなかった。降参した私を最初の夫はたいそう可愛がってくれたからそれまで相手をコントロールするために使っていた手練手管を私はあっさり手放した。ありのままの姿で思う存分甘え頼るのはとろけるように気持ちよかった。

幼い頃から癇癪持ちの母と、気分屋の父の顔色を見て気を遣ってきた私のさみしさがしんしんと満たされて私は最初の夫と別れた。

「満月の夜は影が長い。僕はきみの長い影をみると不安になる。黙って離れていかないでほしい」

雪の夜に月に照らされた夜道を歩きながらそう言われ

「なんで?離れないよ」

と言って手を繋いだ。

最初の夫とは10年一緒に住んで、いくつも季節を共に過ごして、ずっと手を繋いで歩いて、別れる最後の夜も手を繋いで眠った。あまりにもたくさん手を繋いだから今もまだ彼の手の感覚をよく覚えている。骨張った大きな手。初めて繋いだ時は天にも昇る心地だった。あの血液が沸騰するような興奮と幸福もまだよく覚えている。思い出すと笑ってしまう。あの手は、骨になって今は骨壷に入れられてお墓の下にある。

出会った頃の彼と近い年齢になった今となっては最初の夫が私を可愛がったのは、愛しいからでも大事だからでもなく単に面白かったんだろうなと思う。あの若いなりふり構わないバカでさみしくて調子に乗った女が。

 

息子の手はふにふにで小さい。今はこの手を毎日繋いで歩いている。

「満月の夜は影が長いでしょう。お母さんね、長い影をみるとさみしい気持ちになる」

「へ〜俺はね、さみしいくないよ。お母さんと一緒に夜のお散歩するのは楽しい。お母さん、大丈夫。月は毎日かわるから明日には満月じゃなくなるよ。地球は動いてるからね」

「そうだね」

「うん。うちに帰ったら月の本を読んであげるよ」

「うん。じゃあ、おうちに帰ろうか」

「帰ろう!」

息子は私の手を引いて走り出す。息子の手は小さくて、ふにふにで、あたたかくて、力強い。

私の手をふりほどきどんどん走ってゆく息子をみて、息子は私に支配されたりなんかしないだろうなと思った。