夜の散歩
暑い夏が終わって、秋の虫の声がきこえるようになった最近は、毎日のように息子と夜の散歩に出かける。私達は夜の散歩が大好きで、夕飯の後にどちらからとなく誘う。
今日も早めの夕飯を済ませて映画を一本観た後に散歩に出かけた。
行き先は決めずに近所を歩く。静かな住宅街を、駅に向かう人が足早く通り過ぎる商店街を、夜でも煌々と明るく人が多い大通りを、息子と手を繋いで喋りながらてくてく歩く。
息子の背がいつの間にか私の肩に届く高さになっていて、繋ぐ手が大きい。それに「クラスの女子に告白された」なんて話をしてくれる。
その成長。
息子が小さな赤ちゃんだった頃も夜の散歩をしていた。寝ない赤ちゃんを抱っこ紐に入れて、夜道をぐんぐん歩いていた。歩くしかなす術がないから。
あの頃はまだ息子を産んで一年も経っていない頃で、私は赤ちゃんがいる生活に慣れていなかった。母親という役割にも。
赤ちゃんとの1日は長かった。夜は特に長かった。3時間おきに授乳があるので1日に終わりがなく、細切れの睡眠でどこまでも続く生活の中の夜は飲み込まれそうに暗くこれまでに感じたことのない孤独なものだった。
だから散歩に出た。
家にいるよりマシかと思って。
夜の暗い人のいない住宅街はよそよそしくて、自分がそこにいるのにいないような気持ちになって、そんな弱々しい気持ちを持っていることが馬鹿馬鹿しくなって笑って、私をそんな気持ちにするなんて本当に世界はクソだと思ってぐんぐん歩いた。
赤ちゃんはそんな私の顔を黒い黒い濡れた目でじっと見上げていた。街頭に照らされた頬は闇に浮かび上がるように白かった。
「かわいい赤ちゃん」
そう声に出して言ってみた。確認として。あれは街路樹、それはガードレール、これはかわいい赤ちゃん。
これはどこからどうみてもかわいい、赤ちゃん。
大事にすべき私のかわいい赤ちゃん。
祐天寺という大きなお寺の近くに住んでいたので、散歩の終盤にはよくお寺の境内にあるベンチに座って水筒に入れてきた紅茶を飲んだ。
疲れていて孤独な時の熱い紅茶というのは特別で、千切れそうなものを修復するように、それを大事に大事に味わった。
あの時の紅茶の熱さ、抱っこ紐の中の赤ちゃんの温かさは分類するならば、間違いなく良い思い出なのだろうけれど、二度とごめんだ。
母親になったことはすごく幸せ、間違いなく幸福。でもあんな世界から取り残されたような孤独は二度と感じたくない。

