子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

病気のこと

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なんていい子に育ってくれたんだろう。

リビングで黙々とパズルをする息子の背中を眺めながら、私は心からそう思う。感嘆の溜息が出そうな勢いで。

 

さっき、私がテーブルの上にカルピスをこぼした時、彼は「気にすることないよ。拭くの手伝うよ」と言ったのだ。

当たり前のように。

私が慌てていたから落ち着かせようと優しい言葉をかけたのだろう。

この子はなんていい子なんだろう。

少し引っ込み思案なところはあるけれど、行動と思考も丁寧で慎重でとても賢い。

陽気なたちで、よく鼻歌を歌って、踊っている。

その笑顔の輝かしいことといったらない。

 

私は、この子を出産したことがきっかけである病気になった。

急性期には手術したり入院したりして、それでも命が危ないと医者に言われた。

身体はいつも怠く、パンパンに浮腫んで、息は何もしなくても上がる。

激しい動悸に気が遠のく。

手術をして、投薬をしたが、症状は再発する。

当然、とにかく安静にと言われる。

自宅で安静にできないなら入院してくださいと言われる。

でも生後まだまもない赤ちゃんの世話をしながら安静になんてできる?

入院もした、でも入院しても赤ちゃんのことが気になって、走り出しそうになって、病状は悪化した。

夫は協力的だった。

何日も会社を休んでくれた。でも育児は不得手だった。

赤ちゃんは10秒私の姿が見えないだけで号泣したし、私は夫がいくら家にいてもちっとも休まなかった。

赤ちゃんの世話なんてマラソンを走っているようなもので、初めての育児で手の抜きどころもわからずにとにかく一日中ばたばたと動き回った。

体調は悪かったけれど、だんだんとその状態に慣れて、トイレで失神することが、毎日のように頭痛で吐くことが当たり前になった。

夫は心配したけれど「大丈夫」だと言った。

本気で大丈夫だと思っていたし、私は育児はしてる。自分の役割を果たしている。問題ないでしょう。どうして口を挟むのと思っていた。

救急搬送された病院から夫に電話をして「大丈夫」だと言った。「迷惑をかけて申し訳ない。すぐ帰るから」と。

状況を改善しようと夫は何度か話し合いの場を設けてくれたけど、私は「大丈夫」「ちゃんとするから」を繰り返すだけ。

だって大丈夫だから。大丈夫なはずだから。

いくら医者に注意されても、夫が会社を休んでも、何かに取り憑かれていたみたいに赤ちゃんの元に走る私に夫は困惑しているようだった。

夫の気持ちが離れていくことに気づいたけれど、悲しくはなかった。どこかホッとしていた。

赤ちゃんと病気だけで手一杯だったから。

女でいるなんて到底無理だった。

夫の好む客体化された都合のいいかわいい女でいるなんて到底無理、その土俵から早く降りたかった。

かわいいなんて一生思われたくなかった。

クソだと思った。

こっちは死にかけながら子ども育ててるんだよ。

かわいい?好き?そんなのだだの性欲じゃん。

くだらないんだよ。

夫の存在がどんどん遠くなった。

なんでそんなに遠いところにいるのにまるで私に寄り添っているような口ぶりで、私に意見するの?

あなた、誰?

 

私は夫に病名を正確には教えなかった。

その病名は、はっきりと出産が原因だとわかるものだったから。

私はいつかその病名を息子が知って、そして自分を責めるのを恐れた。

絶対にそんなことはあってはならないと思った。

医者から家族の方に同席してもらい今後のことを話しましょうと提案されても必要ないと言って夫を病院には呼ばなかった。

それが酷いことだとも思わなかった。

もしかして、夫は私を心配していたのだろうか。

だから私の病気を知りたがったのだろうか。

仕事の予定を立てるために、今後の息子との生活の予定を立てるために私の病状と余命を知りたいのだと思っていたけれど、もしかしたら、私を心配していたの?

私の身体を思う心が彼にはあったの?

もしかして、夫は敵ではなく味方だったの?

ずっと。ずっと、ずっと。もしかして。

それは、すごい。

そう思えるようになったのは、ごく最近のこと。

 

夫が、2人で話そうと提案してくれたのだけど、時間が合わずにまだ話せていない。

もし、もしも、夫の話が良いもの、例えば、私と息子を思いやるものだったら、病気のことをちゃんと話してみようかと思っている。