インコちゃんの病気のこと
自己憐憫は一種の麻薬だと思う。
こんなに浸れることは他にないから。
悲しい悲しい悲しい悲しいで事実から目を逸らして何も考えずいられる。
飼っているセキセイインコが病気になって、急速に状態が悪くなり、入院になった。検査でそれは治療法のない致死の病気だとわかった。
そんな病気があることも知らなかったから情けないことに獣医の前でオロオロするばかりで、気がついた時には道路にいて、ちょっとした注射と薬で調子が良くなった小さなかわいいおりこうな小鳥と一緒に帰るはずだったのに、なぜだか手には何も持っていなくて、それが受け入れられず脚が自分のじゃないみたいに感じた。
病院で告知を受けたあとはこんな感じだった。
それから、呆然としたままのろのろと脚を前にはこび、家に帰って、「今日入院になったセキセイインコの飼い主ですが、夕方に面会に伺ってもよろしいでしょうか」と動物病院に電話をして、やっと手足が自分のものに戻った気がした。
入院した当日に面会に行く飼い主は珍しいと言われたけど医院長は快く受け入れてぐださり少し救われた。
面会はインコのためではなく、自分のためだと自覚はあって、生きてる姿を見て安心したいから行きますと鳥の負担になるなら止めるので教えてくださいと獣医に告げた上での身勝手な面会。
生きてる姿をみて安心したい、あわよくば治療により少しでも元気になっていてくれればばより安心したいというなんとも弱々しい情けない私の訪問をインコは喜んでくれた。
喜んでくれて、彼は私を安心させようとエサを食べる真似までしてくれた。バサバサの羽根で落ち窪んだ目で元気なふりをして水も飲めないのに、何度もエサをつつく真似をして私の方を見た。
よく知ってる優しい顔で。
鳥はなんでもよくわかっているから元気なふりをすれば家に帰れると思ったのだろう。
元気にしていれば、注射も強制給餌もされないだろうと力を振り絞ってやったのだろう。
それでもうれしかった。
元気な姿が見たくて見たくて見たくてたまらなかったから元気な姿が見られて、見せてもらえてうれしかった。辛いのも苦しいものインコちゃんなのに、なんて私は情けないのだろうと思いながら、それでもうれしいが勝っていた。
インコちゃんにもらった宝石みたいに小さな貴重な安心を持って私は家に帰えることができた。
コンパニオンアニマルという存在について、可愛がるために動物を飼うことのエゴについて道々に考え苦しい救いのない気持ちで家に帰るとちょうど学校から帰ってきた息子がいて、思いの丈を打ち明けると
「お母さんは、よくその赤ちゃんみたいな心のまま40代まで生きてこられたね」
と嫌味でなく、心底驚いたという様子で呆れられた。
「お母さんはメンタルが病的に弱いかな?それとも幼稚でEQが低い?」と尋ねると
「いや、普通に赤ちゃんの心のまま大きくなった人」と言われた。
「いいじゃん。赤ちゃんは精神を病まないから。お母さんは喜怒哀楽が全部通常の3倍盛りだからね。悲しいのは仕方ないよ」と背中を撫でてくれた。
「私が悲しんでも心配してもインコちゃんは良くならない。無駄。それなのにこんなに悲しくて心配して、何のために?って苦しい」とぐずぐずと泣く私の背中を「はあ、面倒くさいこと考えるなあ。その考えが一番無駄だよ」とまったくもってその通りとしか言えないことを言いながら、私がもういいというまで息子は背中を撫でてくれた。
病気のインコちゃんに優しくされて、庇護すべき息子にも優しくされて、それでもまだインコちゃんをうしなうことが決まった未来が受け入れられずにその日は、夕飯を作りながら、仕事をしながら、お風呂に入りながら、突き上げてくる悲しみになす術もなく気が済むまで泣いた。
こんな風に泣く自分を弱く卑しいと思いながらも他に悲しみの逃し方がわからなかった。
次の日は、覚悟を決めた。
そしてこの日も面会に行った。
面会の予約をした夕方は大雨で、傘をさしても暴風で煽られて役に立たず、稲光りが暗く濁った空を白く照らしていた。
いつもは人通りが多い大通りも悪天候に人の姿はなく、しかし私はこの道を進めば間違いなくかわいいインコちゃんに会えるのだと思うと雨などどうでよく、全身濡れ鼠になりながら川のようになった歩道を無心で歩いて動物病院へ向かった。
雨水に閉じ込められた世界で
自分の病気ならまだいい。
あんな小さな、私の肩に留まって顔を擦り寄せる、あの僅かな重みしかない小さな優しい小鳥がどうして苦しんで死なないといけないのか、受け入れられる筈がない。
エサを食べる真似をして私を安心させてくれるあの小さな黄色のふわふわがなんで?
何も悪いことしてないよ。
みんなに優しい優しい柔らかい小さな小鳥だよ。
殺さないでよ。なんで?
病気って何?ウイルスってなんなの?
なんで死なないといけないの?
と停めどなく考えた。
ずぶ濡れで動物病院について、タオルで全身を拭いてから診察室に入ったら、私を見たインコちゃんはまた食べる真似をしてくれた。
優しいインコちゃん。ありがとうね。
いつも優しくしてくれてありがとう。
そこにいてくれてありがとう。
私は今インコちゃんのことで頭がいっぱいだけど、この気持ちも時が経てば薄れて、忘れてしまうとわかっている。
だから残しておくね。
これもあなたが生きた、貴方が優しかった、あなたが今まだ生きてる記録だから。
まだ生きてる。
大好き。
いなくならないで。いなくならないで。いなくならないで。
エサを食べる真似なんかしなくていいから死なないでよ。
ごめん。死にたくて死ぬわけじゃない。インコちゃんが一番しんどいのに自分のことばかりで情けないね。
大丈夫。どんなインコちゃんもお母さんは受け入れるよ。
どんなインコちゃんでもかわいいよ。
大好きだよ。
何も心配しないで家に帰ったおいでね。
なんでもするからね。一緒だからね。少しでも苦しくないように楽なようになんでもするから。
私はあなたが苦しいのが一番嫌だ。
あなたが食べたいのに食べられないのが嫌だ。
生きたいのに生きられないのが嫌だ。
わかった。
私はあなたを可愛がりたくてペットショップで買ったわけじゃないよ。
大事にしたくて、私なら誰よりもあなたを大事にできると思って赤ちゃんのあなたをペットショップから連れて帰ってきたんだよ。
大事にしたくて、楽しく暮らしてほしくて一緒にいたの。
かわいいからじゃない。愛玩じゃない。
この悲しい気持ちは受け入れる。病気の事実も受け入れる。
だからまだ一緒にいようね。
明日が退院の日。
獣医はかつてないほどに丁寧な口調で入院して一時的に改善された僅かな事柄に教えてくれた。
大丈夫。私は全部を受け入れる。
大丈夫。
元気でかわいいから好きなわけではないので、このままを愛しているので大丈夫。
2025.05.03
記録として
インコちゃんは先ほど亡くなりました。
2025年5月5日の12:05
病院ではゲロゲロ吐いてたのにお家に帰って来てからは一度も嘔吐せずに、ご飯も食べて、まるで治ったみたいに、いつも通りに好きな場所に行って、外を眺めてそして穏やかに亡くなった。
インコちゃんがお家に帰って来てくれてうれしい。大好き。一緒にいてくれてありがとうと何度も言った。
インコちゃんもお家に帰って来たのがとてもうれしいみたいだった。病気なんて全部嘘なんじゃないかと思うくらい元気だった。
重度の胃拡張と肺炎を併発していて、もう酸素室にいれて見守るしか手の施しようがないと獣医師が言ったのは夢だったのかと。内臓の機能が停止していると言われたのは夢だったのかと勘違いするくらい動くし食べた。
久しぶりにトストスと畳の上を歩くお散歩もしてくれた。
「もうずっとおうちだよ。ずっとお母さんと一緒だよ」という言葉が一番うれしいみたいで。私が言うと近くに来て甘えた。
一緒にいられることがこれほどうれしい。
インコちゃんも私と一緒にいることをこれほどうれしいと思ってくれる。
これが全部。これだけが真実なんだと思った。
悲しさも混乱ももうなかった。
私達は一緒にいられてうれしいという真実だけがそこにあった。
私の腕で就寝したいというインコちゃんの希望を叶えたくて、30度に保温した鳥かごに腕を突っ込むかたちで一睡もせずに夜を過ごした。
僅かな重さと体温がうれしかった。無理な体勢で全身ガチガチになりながらうれしかった。インコちゃんのことが爆発的に愛おしかった。
死ぬのはわかっていた。
でも悲しくなかった。
そんなことより愛おしいくて、側にいてくれることがうれしかった。
今は生きて私の腕で眠る小さな小鳥がいるのに何を悲しむのだろう。絶対的な愛おしさの前では死への恐怖は無いに等しい。
あんなに怯えて泣き震えていたのにね、インコちゃんが一緒にいてくれたらもう全然怖くない。
不思議だね。
インコちゃんの眼は真っ黒で、私のことを優しく優しく見てる。
インコちゃんは生きたがっていて、死を受け入れてない。
これからずっと私と一緒に楽しく暮らせると思ってる。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。
これまでそうだったように。
それが当たり前だから。
「ずっと一緒だからね」
私がそういうとインコちゃんはくちばしをお話しするみたいにパクパク動かして、そして命を終えた。
あの一瞬がずっとだ。
私の心は確かに、あの腕にインコちゃんを乗せて過ごした夜に、その時に、置いてきたから。ずっとそこにあるから。
インコちゃんと私はずっと一緒。