「過去の僕の依頼者の相手方にもいましたよ。自殺した人。追い詰めた罪悪感はないですね。仕事ですから」
弁護士が笑顔でまるで冗談でも言うように話す。その口ぶりはどこか誇らしげでさえある。
武勇伝のつもりなのかしら。
「死んでくれた方がいい人はいますよ」
「あなたの相手方のおうちに、来ましたよ〜、とお話しましょうと言って今から僕が行くこともできますからね。あなたが望むなら。追い詰めてあなたの望む条件をのませますよ。警察を呼ばれても僕は弁護士だから大丈夫です」
身振りをつけて楽しげに話す。
この人は夫のことを必ず相手方と呼ぶ。ご主人とか旦那さんとは呼ばない。
「私は、私は、夫と争いたいわけではありませんから」
はははははははは
弁護士のマスクの奥からは高らかな笑い声。
空調の効いた弁護士事務所の小部屋。口をつけてない桜の花びらの描かれた白い湯呑みの中には薄緑のお茶が並々としている。
私には、何が面白いのかわからない。
弁護士は笑い終わり今度は黙って私の目をじっと見ている。依頼者との信頼関係を大事にしているとホームページに書いてあるから信頼関係を大事にしている態度をとっているのだなと思う。
「あの、あの…」
話しを進めようとして自分の声がひどくかすれていることに驚く。
喉が詰まったように声が出てこない。
なんだか息が苦しい。
自殺という言葉が胃のあたりにへばりつき硬くなり重くなり喉を塞いでいる。
重い痛い苦しい。
「どうしました?」
感じの良い笑顔で尋ねられても答えられない。
「すみ、すみません…ちょっと体調が…」
弁護士の表情が一瞬曇る。
「ああ、そうですか、では仕方ありませんね。また夜にzoomでお話ししましょうか」
せっかく打ち合わせの予定を入れたのに、今話せよと思っているのだろう。
弁護士の口調は堅くなり態度は急に冷たくなった。
信頼関係を大事にする態度はどうしたんだよ。
それに夜は子どもがいるから対応できないと何度言ってもわかってもらえないのもやめてほしい。
(以前も申し上げた通り子どもがいるから19時は20時は無理なんです。
すみません。)
そう言おうとして口を開けたがもう掠れた声も出なかった。
ぱくぱくと口を開けて喉のあたりの筋肉を絞る。
出ない。
声がでない。
自殺
自殺
自殺
弟の顔が浮かぶ。
優しい子。
もう歳をとることのない若い笑顔を思い出す。
この人は弟と同い年だ。
涙がにじむ。
「お辛い気持ちわかります。私は離婚を専門に扱ってますから。ご依頼者様のお気持ちは痛いほどわかります」
そう言えば、依頼者のお気持ちに寄り添ってともホームページに書いてあったなと少し楽しい気持ちになる。
私の気持ちがわかる?
私の気持ち。
そんなの私にもわからないのに。
ふふふ
私が掠れた声で笑うと弁護士は安心したようだった。
信頼関係を大事にできてるなと思っているのだろうか。かわいらしい頭のキレる若い弁護士。
それにしても世間というのはなんてばかばかしくおかしいのだろう。
ね、本当にばかばかしい。くだらない。
声が出ないなんて。
ああ、また弁護士が手を握る。手を握らないでほしいとグールグルマップの口コミに投稿するぞこのうすらとんかちが。
うすらとんかちばかりの世界で私は、こんなにも満身創痍で私は、いったい何をしているのだろう。
手を振り払い無言で立ち上がって一礼すると弁護士事務所から出た。
出口にあるアルコール消毒液で手を丁寧に消毒した。
夫の骨張って美しい手を思った。
夫は死なないでほしいと強く思った。
死なないでください。
いなくならないで。
外は秋晴れ。
たくさんの人がいる。
命を絶たずに生きている人達。
このばかばかしい世界で私の大事なものを大事にしなくてはならないと思う。
でも私の大事なものってなに?
それはまだ私の手元にありますか。
もしかして。
もう。
もう?
早足で職場に向かう。
働いて生きなくては。