子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

夫、閉鎖病棟に入院中①

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先日、夫が退院しました。

退院後の夫は、ひどく悲観的で、私が息子にかまけるのことが不満な様子。

つまりいつものうつ状態の症状です。

解離症状がなくなったのはよかったのですが、病状はあまり良いとは言えません。

 

今回は、精神病院の閉鎖病棟に緊急入院した夫の入院中のことを書いてみたいと思います。


精神科の閉鎖病棟いうとなんとなく物々しいですが、実際は明るく穏やかな空間でした。

卓球がブームらしく卓球をしている方が多かったです。

面会に行くと毎回、他の患者さん達が私に「誰のお母さん?誰のお母さん?」と何度もきくから毎回「お母さんじゃなくて奥さん、妻です」と答えてました。

夫が言うには、閉鎖病棟に面会に来るのは大抵は、患者さんの母親か父親なので妻が来るという発想がないのだろうとのことでした。

精神疾患という病気の性質からか患者さんの多くは、元々独身、または何度も入院退院を繰り返すうちに離婚される方が多いようです。

 夫と2人、卓球をする患者さん達を眺めながら「私達も離婚するのかな?」と問うと夫は、「今はまだわからないよ」と答えてました。


閉鎖病棟というのは、病棟の入り口に鍵がかかっている病棟です。

入院中の患者さん達は医師の許可なく病棟の外に出ることはできません

患者を閉じ込めておくというよりは、患者を外界のストレスから守るための閉鎖といった感じです。

特に鉄格子などではなく、ごく普通のガラス扉に鍵がかかっていて、鍵は看護師さんが管理していました。

夫が入院した病院の閉鎖病棟には、談話室にテレビや卓球台があり、みなさん思い思いに過ごしているようで、そののんびりして倦んだ雰囲気は、放課後の教室のようでした。

 

夫はというと、自死の危険性が高いということで、一旦は外から鍵のかかる隔離室に入れられましたが、入院翌日には目を覚まして看護師との意思疎通ができたということで、隔離室からは出て4人部屋に移りました。

しかし、驚いたことに夫は入院後4日間の記憶がないと言います。

ずっと寝ていたと。

看護師さんによると普通に会話して普通にご飯を食べていたそうですし、私が面会に訪れた際もぼんやりはしているものの普通に会話をしていました。

解離性障害の症状なのでしょうが、傍目には普段と変わりなく見えても解離状態にあることに戸惑いました。

そんなの本人も周りも困る。

 

この記憶がない4日間に夫が主にしていたのは私への電話です。

入院していた閉鎖病棟では通信機器の持ち込みが禁止されていましたので、パソコンはもちろん、携帯電話もiPadも手元にない状態です。

なので夫はテレホンカードで病棟内の公衆電話から私に電話をかけてきていたのですが、その回数が凄まじく1時間に7~10回の着信が朝9時から夜7時までの間にありました。

仕事と育児にてんてこ舞いだった私はなかなか電話に出ることができず、這う這うの体で病院にかけなおしてみれば、夫の要件は「僕が元気だと伝えたくて」だったりするので、やはり夫はおかしい、このままおかしいままだったらどうしようと落ち込みました。

しかしゴールデンウイークで保育園は休みだし2歳児の育児だけでもへとへとなのに、おり悪く息子は風邪、そして在宅仕事、夫の入院によって必要になった職場や弁護士とのやり取り、主治医との面談。

正直夫からの着信は重荷以外のなにものでもありませんでした。

そして重荷に感じる自分が薄情に感じ、私がこんなだから夫の病状は悪化するんだと自分を責めました。

 

忙しくて忙しくて息つく暇もない、疲れているのに気が張って眠れない、そしてどんなに悲壮な状態でも2歳の息子の前には笑顔でいなければいけないという思い込み、疲労で頭が回らないから仕事でミスをする、時間もお金もないのに稼がないといけないのにミスをする自分を呪う、どんどん精神状態が悪化するのが自分でもよくわかりました。

しかし限界近くまで追い詰められているゆえに改善するための行動がとれません。

疲労と罪悪感という小さくて深い穴に入り込んで、どうしてだか睡眠も休息も気分転換もとることにも罪悪感を覚えるようになっていました。

極端な視野狭窄状態に陥り周りがみえない人間というのは、パニックになりやすい、そしてパニックになった人間というのはいとも簡単に底まで落ちます。

 

私の精神崩壊まであと少し、②に続きます。