子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

別居そして喧嘩、断絶①

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5月半ばに退院したものの、解離の症状は治まらず、健忘もあり、全く病状が安定していないまま別居に踏み切った夫。

別居後は週末に世田谷の自宅に来て家族で過ごすと言っていましたが、先日、夫婦喧嘩で警察沙汰を起こし、今は夫と連絡が取れない状態です。

警察で、今後私に連絡しない、会わない、という誓約書を書いたと義父を通じて知りました。

 

そもそもことの発端は、先週末に息子と共に夫の新居を訪れた時です。

その日は、午前中、家族で夫の新居近くのキッズスペースでたくさん遊び、その後、夫宅へと向かいました。

息子を夫宅でお昼寝させてから帰宅する予定だったのです。

 

夫の新居は足立区、自宅からは電車で1時間ほどの場所にあります。

通勤時間が1時間半もかかるほど夫の職場からも遠く、なぜか夫が初めて入院した精神病院から徒歩2分という場所です。

夫が酷い躁状態に初めて陥った去年の夏、その病院に入院したことによって症状が劇的に改善して、夫と私は命拾いしたのです。

夫がどうしてその場所に新居を構えたのか不思議ですが、去年の夏、躁転して狂った夫が入院治療によって何カ月ぶりに正気に戻り、私と手を手をつないで、「見捨てないでくれてありがとう。ずっと一緒にいてほしい」と言ってくれた北千住の商店街は私にとっても特別な場所です。

 

その場所を家族で笑いながら歩けることは、本当に本当に心から幸せなことでした。

しかし、突然の暗転。

 

引っ越しや仕事で疲れている躁一歩手前の夫。

夫の解離障害による入院や育児に心身ともに疲労困憊の私。

パワー有り余る、自己主張がとまらない息子。

これだけで、火種はなくとも煙は立ちそうな危険な家族です。

 

そこに、とても小さな火種が。

 

キッズスペースから夫宅へ向かうわずか徒歩10分の間のことです。

私と息子に少しガラの悪い男性が声をかけました。

子どもを連れて歩いていると驚くほどいろんな人に声をかけられるので、普段からあまり気に留めませんが、その時は口調が荒かったので、夫に「少し怖いね」と言いました。

すると夫は、気を悪くしたのか、「ここは世田谷と違うんだよ」と。

夫宅に着いてからも「あれ?ゴミ箱は?ない?」と息子が言えば、「すみませんね。ここは世田谷とすべてが違うんですよ」。


そんなこと言われた息子はぽかんとしていました。

当然、「息子に変なことを言わないで」と夫を咎めます。

すると「ここはね、息子君みたいに高貴な人が来る場所じゃないんだよ~」と息子に言うではありませんか!

夫の言っている内容は分からなくとも嫌なことを言われていることがわかり機嫌悪く「帰る!」と愚図りだす息子。

愚図る息子に「そんなに嫌なら世田谷まで歩いて帰れ!」と夫が言いました。

 

何もわからない息子に愚かにも卑屈な感情を吐き出しやがって、ゴミが。

 

私の怒りに火がついてしまいました。


一度怒りに火が付くととことん相手を追い詰めたくなるのはADHDゆえなのでしょうか。

私は自分の中でぐつぐつと夫への怒りが煮えたぎるのを感じました。

 

私「どうしてそんなこと言うの」

夫「あのさ、僕の病気が心配でわざわざ来たくもない足立区に来ることないからね」

私「息子に謝って。お父さんのところに行くって、長い時間電車に乗って頑張って来たんだよ」

夫「来られても困る」

私「私たちが来るのが迷惑なの?」

夫「もう来ないで、息子の着替えも置いて行かないで。ここは息子にとって良い環境じゃない。僕はゴミだからごみ溜めにいます」

私「別居しても週末は家族で過ごしたいって言ったのも嘘?病気を治すために別居してまた一緒に住みたいって言ったのも嘘?別居は育児と私から逃げて楽になりたいだけなんじゃないの?」

夫「怒ってる人とは話したくない」

私「・・・はあ?誰が怒らせてんの?質問に答えてよ」

夫「こういうやり取りが僕の病気に悪いんだよ」

私「知ってるよ。わかった帰る。」

夫「わかった。ねえ、本当は僕のこと殴りたいんでしょ?殴りなよ」

私「私にだって感情はあるんだよ。私たちを拒絶するなら、次に解離があっても私を頼らないでね。都合がいい時だけ利用されるのは嫌だから」

夫「いいよ。どうせ、もうすぐいなくなるから」

私「・・・帰るね」

 

思い出しても腹が立つ。

②に続きます。