先日、約3カ月ぶりに夫に会いました。
主治医の希望により診察に同席するためです。
熱があり保育園を休んだ息子も一緒に行きました。
夫はすっかり私に心を閉ざしていましたが、息子に笑顔を向けて、抱き上げてくれたので、息子はそれはそれはうれしそうでした。
キラキラした息子の表情からは、彼がどれだけ父親に会いたかったのか、父親を好きなのかが伝わってきて思わず涙が出ました。
私も夫の顔が見れたことが素直にうれしかったです。
もちろん思うことは色々ありますが、生きていてくれることがただ単純にうれしかったのです。
死にたいと言っていた夫、解離を起こして別人格になった夫、バカみたいな額の借金、ありえないくらいのお給料の減額、先の見えない精神疾患の病状を思うと、夫が生きてそこに座って話している、息子に笑いかけている、それだけで十分に思えました。
先はいくらでもあるから。
今生きているなら先はどうにでもなるから。
してみせるってまだ思っているから。
私は大丈夫。
息子は素晴らしい子どもに成長している。
夫は生きている。
それでいいよ。
夫が解離を起こした時に決まって言う「さみしくない さみしくない」という言葉を思い出しました。
解離を起こすといつも私といっときも離れようとせずに私の手をぎゅっと握りしめ、私に添い寝を要請する夫。
しかし私は病院への連絡や救急隊員からの聞き取りなどで夫の側を離れなくてはなりません。
そんな時、夫はきまって壁に向かい「さみしくない。さみしくない」と何度も繰り返すのです。
解離を起こした夫は3歳になったばかりの息子より、余程幼いように見えます。
いや、解離を起こしていない時だってひどく未成熟なのです。
医師は夫の精神は幼児のようだと言いました。
ストレスに異常に弱い。
周りが見えない。
思い込みが強い。
しかし知能は恐ろしく高い。
こんな心理検査の結果を医師から聴いて、夫はこれまでさぞかし生きづらかっただろうと、特性を知っていたらもっと違う接し方ができたのにと思いました。
私は夫の未成熟さに惹かれたのに。
息子が生まれてからは、夫の未成熟さは憎しみの対象でしかなかった。
だから解離を起こし、幼児退行の症状が出るのだと医者はいいます。
私の所為かよ。
まあ、夫の主治医のことは、あまり当てにしていないので、診断の真偽はどうでもよいのですが。
息子は成長して、今や夫より成熟し安定した精神を有しています。
そして、息子の成長を見守る中で、精神の成長、成熟、心の安定は、安心して甘えることが何より大切だと感じます。
というか甘えることでしか成熟しないのでは?と。
安心して他者に心を開き、そのありのままの心を受け入れてもらうこと。
その安定した場所でトライ&エラーを繰り返し、エラーの度に甘え、大丈夫だよ!と言われてまたトライして、そしてできたら一緒に喜ぶ。
駄目でも受け入れないもらえる安心感。
一緒に喜んでくれる人がいる嬉しさ。
自分で成したことでついた自信。
これで心は成長するんだと感じました。
息子に教えてもらったようなものです。
医師の前で、夫が解離は私との接触がストレスで起こるのだと主張するので、それならばと私からの連絡は断とうとメールをしましたが、返信は来ません。
夫の気持ちは相変わらず少しもわからないままです。