子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

日々の生活と変化

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ご無沙汰しております。

ブログの更新をずいぶん長い間せずにいました。

このままやめようかなとも思ったのですが、今後は日記のような形で続けていけたらと思います。

 

2か月ほど前から、約1年間にわたり交流がなかった夫が自宅に来るようになりました。

夫の考えていることはいつだって全くわからないのですが、彼が何を考えていてもそんなことはどうでもよくて、単純に定期的に会えることがうれしい。

息子もとても喜んでいます。

そして彼は転職したらしいです。

毎日忙しそうで、息子がテレビ電話をかけると大抵は職場で出てくれます。職場の喧騒の中で息子におどける夫を見ると、息子は愛されているのだと感じます。

そう、夫は息子を愛している。

 

別居後、頑なに私たちに会わない夫に対して、

1年間息子に会わないなんて信じられない。

顔が見たくないのか。

人の心がないのか。

一人での育児がどれほど大変か。

親としても責任から逃げるのか。

精神疾患を免罪符に家族から逃げるなんて卑怯だ。

と思っていました。

思っているというか呪っていました。

誰からの援助もない、誰にも助けてと言えない育児はそれはとても追い詰められるものだったし、どうして私ばっかりと、夫だけ一人気楽で、と何度も歯をぎりぎり鳴らしました。

なめてんのかと。

サイコパス野郎がと。

 

しかし、そんな感情は半年ほどでなくなりました。

息子と過ごす喜びの方が、一人きり育児の辛さを上回ったからです。成長した息子と共に過ごすことは楽しくて、こちらが面倒をみなくてはいけない子どもではあるのですが、大抵のことは自分でしてくれるし、一人の人間としてきちんと尊重しさえすれば、親子関係は問題なく穏やかに過ごせるようになりました。

いつの間にか。

もうすぐ4歳になる息子。

この4年間の変化。

 

夫が息子にしてくれたこと。

毎日一緒に眠り夜泣きに対応。

毎日洋服を選んで着せる。

朝ごはんを用意して食べさせる。

保育園への送り。

私の体調が悪い時には仕事を調整して一緒に過ごす。

予防接種や健診へ連れていく。

どんなに辛くても笑顔で対応する。

どんなに辛くても息子と一緒にいるときは優しく対応する。

 

 

夫には夫の気持ちがある。

その当たり前のことよりも、私は夫に「完璧な父親」を求めていました。

息子の父親としてちゃんとして。

息子にとって有益であれと。

だって私はこんなに「完璧な母親」になろうと必死だもの。

もっとできることをやってよ。

もっと、もっと、もっと、できるでしょ?

そう思ってました。

 

夫は双極性障害の症状がピークで意識障害を起こした時、そこに息子がいないのに、救急車を呼んで待っているのに、息子のためにバナナを一口大に切って器に盛りつけました。息子の朝ごはんの用意をしてたのです。

そして私に「準備したからね。大丈夫だからね」と言いました。

その焦燥感に駆られた痛々しい表情を今でも思い出します。

夫は息子を大切に思い愛している。

それは間違いありません。

 

問題は私が夫を大切に思い愛してるかということかもしれない。

夫のためなら何でもする、何でもしてきた。

でもそれは息子の父親だからだという気もする。

そうなのかな。

全部がそうじゃないとも思う。

夫が元気にしていると嬉しいし、笑っていても嬉しいし、おいしそうにご飯を食べていても嬉しいし、夫をいじめたり、悲しませたりする奴がいたら必ず私が社会的に抹殺してやると思うから。