子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

息子への愛情など

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私は息子が大好きで、彼のすべてが愛おしくたまりません。

その慎重さ、その思慮深さ、その陽気さ、その賢さ、その可憐さ、その自我の強さ、その幼さ…

彼を彼とする要素の一つ一つどれもすべてがユニークで特別で完璧だと思えます。

 

もちろん、3歳の子どもなので、一緒にいてこちらが社会のルールなどを教え、彼がひとりで生活できるようなるように適切な補助、または助言をしなければならず、その未熟なものを正しい方へ導かなくてはならない!というプレッシャーは相当のもので、ものすごく疲れる。

こちらがぎりぎりの状況で、必死に感情を抑えて息子の害にならぬ正しい指示、補助を行っていこうと努力したところで、そんなの私の思いなどは息子にとって知ったことではなく、彼は生きたいように生きるという強い意志をもっている。

生命の本能として。

そのぶつかり合いの毎日。

暴れ馬に手綱を付けて必死に乗りこなそうともがく毎日。

しかし、制御して指導しても絶対に支配してはいけない。

難しい。

育児、むずかしい。

人間としての力量が試される感がすごすぎる。

毎日自己嫌悪、毎日自分の底が知れる。

 

されど圧倒的に愛おしい息子。

だからこそ彼が生きる基礎をしっかりと身に着けられるよう、一人でなんでもできるように、自由でいられるようにと思い、物の道理を、生活の基礎を、社会の仕組みを教えなくてはと思いがんばる。

 

全然何も教えないし、何も手伝わないで全力で甘やかして、かわいがるだけ可愛がるなら楽なのになと思うこともある。

好きなお菓子だけを食べさせて、嫌がる歯磨きもしない、嫌がるお風呂もいれない、手洗いうがいもしない、おもちゃは好きなだけ買い与えて、テレビも好きなだけ見せて、乱暴なことしても叱らない、汚い言葉を使っても窘めない、あるがままでいいんだよと褒め続ける。

それはある種の虐待だし、ある種の支配。

だから気を抜けない。

うっかりそっちに転ぶのが怖い。

 

それにしてもどうしてこんなに息子のためには一生懸命になれるんだろうと考えます。

どうしてこんなに息子を愛おしいと思うんだろうと。

 

私はADHDだからなのか、もしかしたらまた別のなにかしらの障害があるからなのか、成育歴に問題があるからなのか、誰かを愛おしいという気持ちをずっとわからずに39年間生活してきました。

いつか誰かを愛するのだろうと漠然とした希望を持ちながらも、他人は私にとって異物でしかなく、関わったところで異物感があるだけでした。

ごく少数の友人はいましたが、彼、彼女たちの共通の特徴として、他人との距離感をしっかりとるというのがあります。

なので特に恋愛関係や夫婦関係という深い関係になると異物感が高じて嫌悪感になり互いに不幸になるというかなしいし、申し訳ない結果になってきました。

 

夫と出会って初めて、あれ?この人はには触られても気持ち悪くない?なぜ?異物感がない?と非常に不思議でした。

今でもなぜ夫には異物感を覚えないのか理由はわかりませんが、例えば夫以外の男性に口説かれたり、手を繋がれたり、腰に手を回されたりりした後は、夫が恋しくなします。普段は別居中の夫のことをほとんど忘れて生活しているのに、浄化してほしいような気持ちになるのです。焦燥感を伴うほどにその時だけ夫が恋しくなる。

なんなのでしょうね。あれだけ彼の風俗通いを嫌悪して、めちゃくちゃに非難して、殴って蹴って、全部を否定したのに、浄化してほしいだなんて。

なにか特別なんです。

それが愛情なのかはさっぱりわからないのですが。

 

息子へのこの思いが愛情なのかもわかりません。

責任感ではあると思います。

この世に生み出した責任感。

あとは、うんと大事で、うんと大好きで、ずっとずっと幸せでいてほしくて、悲しい思いなんて少しもしてほしくなくて、苦しい思いなんて少しもしてほしくなくて、愛おしくて愛おしくて胸がつぶれそうになる。

 

何でもしてあげる。大好き。ずっと一緒にいたい。大好き。大好き。

そんな気持ちが時と場所問わず、毎日毎日胸の内からどんどんどんどんどんどん溢れてくるんですよ。

こんな気持ちあります?なにこれ?え?なにこれ?これが愛って?え?まじか。

と戸惑いながらも、息子を大事に思っているという。

 

夫への気持ちは考えても考えるほどわからないから、もうすっかり考えることをあきらめているのですが、一つわかっているのは、彼は特別だということ。

他の男の人とは全然全然違うということ。

その顔も、ひょろひょろで猫背な体も、肌が弱いところも、お腹が弱いところも、ぼそぼそした話し方も、心が弱いところも、全部からにげるところも、よわくてよわくて本当にしかたないところも、それでも家族を大切にしようと必死だったこととかが愛おしいこと。

それはわかってる。