子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

新しい風

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今日は風が強い。冬の風はしんと冷たく澄んでいて、秋の風にあった濁りを濾過したように清潔だ。

息子を自転車の後部座席に乗せて保育園の送迎をするようになってから風で季節を感じとるようになった。

私はこの街に越してくるまで自転車に乗ることができなかったのだけど、自宅から保育園の距離と交通機関を考慮して自転車に乗る練習を始めた。

それがちょうど一年前。

この街に越してきて一年が経つ。

 

自転車に乗ることにも、東京の下町での暮らしにもすっかり慣れた。

日々は滞りなく流れる。

順風満帆。

 

それなのに、そろそろ引っ越したいなと思っている。どこに住んでも一年も経つと引っ越したくなるのだ。

街に馴染む前に、仲良しのお友達ができる前に、私の痕跡が残る前に立ち去らないとと思ってソワソワする。

早く早くと気が急く。

いつもそう。

理由はわからない。

 

ここ数週間、息子が夫に会いたい。さみしい。と繰り返すので気が滅入っている。

夫はベンチャーでガンガンに働いて働いて働いているので忙しいらしい。

夫が入社する、夫が素晴らしく働く、会社が大きくなる、夫が忙しくなる、夫が偉くなる、夫がもっと忙しくなる。

前の会社と同じ。

存分に働いてほしい。

結局、夫の居場所はそこなのだから。

大きな会社を辞めたと言いに来た夫、転職したと言った夫、僕は無能なロボットだから会社で働くことができないんだコンビニでバイトをするしかないと言った夫、辞めなくても良さそうだと喫茶店でオムライスを食べながら言った夫。

その判断を私はいつも受け入れる。

夫の人生なのだから好きにしたらいい。

こんなことを本人には言えないのだけど、仕事のことをいかにも大事なことと言った風に報告してくれることが、愛おしいと思う。

猫が獲ってきた獲物を見せてくれるみたいなかわいらしい律儀さ。

私は夫が無職でも全然いいのだ。

正直、貧乏は苦手だけど、私がもっとたくさん働いてもいいのだから、夫が苦しそうにいたくない場所にいる方がよほど胸が痛む。

そんな金ごときに支配されて苦しむなら、私が何でもするから苦しまないでほしい。

夫の聡明さを活かせない会社なんてゴミ。

 

息子は夫がとても好き。

先週の日曜日、私と息子に会いに来る予定だった夫から「午後から仕事に行くから余り長く一緒にいられない」と連絡があった。

息子にその旨を伝えると「お父さん、お仕事忙しいんだね。きっと本当はおうちで寝ていたいのに、僕が好きだから無理して会いにくるんだね。僕はお父さんの体が心配だから、おうちで寝ててもいいよって言ってあげようかな」と言って、夫に「無理しないで、僕は大丈夫」と言って、そのあと、泣いた。

「やっぱりさみしい」と言って私の胸に顔を埋めて泣く息子を見て、この子は私と全然違うなと思った。

私は夫にそんなこと言わない。

無理しろと思う。

命は有限なんだから幼い我が子に会いにくるのに無理しなくていつするんだよ。命燃やせと思う。

 

息子は違う。優しい子だと思う。

その優しさが夫に無下にされるのが私は何より怖い。

もし夫が息子を、息子の気持ちを蔑ろにしたら。

そしたら、私は。

そんなことないと信じたいけれど、夫は息子を精一杯大切にしてるようにみえるから。

でももし、もし、その大切にしている姿がメッキだとしたら?

そしたら、私は。

そしたら、私は。

そしたら、私は。

 

さあ、目を閉じて、3つ数えて、3、2、1、でさようなら。

さようなら。

楽しかったよ。

 

そして、新しい街に引っ越そう。素晴らしい未来へ。

自転車に乗って新しい街の風を感じよう。

 

画像は、《自転車に乗る人のダイナミズム》。画家のウンベルト・ボッチョーニによって制作された作品。制作年は1913年。