子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

別居のわけ② 

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前回の続きです。

 

私はなぜ夫と別居しているのか?

 

結論から言うと、同居より別居の方が関係が上手くいくから。

 

私と夫は出会ってわずか3カ月で同居して、同居した翌月に妊娠が判明したので、お互いの良い面ばかりしか目に入らないサービスタイムから、出産後のここは戦場なの?心身が限界の育児期間に突入した夫婦なので、産後の互いの性格の擦り合わせは壮絶を極めました。

結婚したことに後悔はなく、夫の性格が好ましいことに変わりはなかったのですが、如何せん夫の性格は育児に不向きでした。

夫は優秀な人です。

私は院生や研究者時代に優秀な頭脳を持つ人たちにたくさん会いましたが、夫の発想、先を予測する能力、頭の回転の速さ、記憶力、どれも一流の学者に引けをとらないものです。

私の主観ではなく、彼の知能検査をした医師が僕なんかよりよほど優秀な頭脳をされていますと検査結果に感心するほどに知能が高い人です。

だからコミュニケーションは極端に苦手だけど、でもなんでもできる人だと思っていました。

育児も安心。夫がいれば二人で協力してうまくやれる。だってこの人はなんでもできるし、私のことがとても好きだし、私は幸せだと。

でも違った。

彼は優れた頭脳で予測して行動しますが、予測通りにならないとどうしていいかわからなくなる。

やることが決まっているルーティンワークは得意だけど、その時々で考えて動くのはとても苦手。

つまり赤ちゃんのお世話は全般的に苦手でした。

そして私は、なんでもできる夫、できるはずの夫が役に立たないので、彼が手を抜いている、やる気がない、つまり私たちに愛情がないと思い込んでしまったのです。

 

ねえ、普通できるでしょ?

考えれば普通分かるでしょ?

なんでわからないの?

なんでできないの?

なんだったらできるの?

ふざけてるの?

やる気がないの?

私と赤ちゃんをバカにしてるの?

ねぇ、何考えてるの?いいかげんにして!

 

私が両親によく言われていた言葉。すごく嫌だった呪いの言葉を夫に投げつけました。必死に赤ちゃんの世話をしている自分をバカにしているのだと思い込み夫を憎みました。

 

冷静に考え、夫のことをよく見ていれば、夫なりに一生懸命できる限りのことをしようと行動していることは理解できたと思います。

でも初めての育児に必死で視野狭窄になっていた私には夫のことがみえていませんでした。

夫を理解しようと思えなかった。

他の記事にも書きましたが、私の方が大変なんだから、どうして私ばっかりと被害者意識たっぷりだった私には夫が理解し合う相手ではなく、いつの間には敵に見えていました。

 

どうしてもうまくできない育児、役立たずと睨みつけてくる妻、お母さんお母さんお母さんと激しい後追いをする息子、母親ではなくてはダメな息子、職場では管理職として重要な決断をしなくてはならない、そんな生活の中でそれでも夫は必死に家族のためにやってくれていました。

予防接種も、お風呂も、ミルクも、離乳食を与えるのも、夜の寝付かせも、保育園の送迎も、自分の仕事としてやってくれました。私が体調を崩せば仕事を休んでくれました。

責任感と、あと夫の持つ過剰適応の傾向が関係していたのだと思いますが、私が無理はしないでほしいと伝えても息子の世話をやってくれていました。

私は暢気に夫はなんでもできる人なんだから、私よりずっと賢いのだからきっと無理をしても大丈夫なんだと思って、思い込んで、夫の疲れに夫の心が弱っていくのに気が付きませんでした。

夫を見ていなかったから。

 

夫は双極性障害と診断され、度々意識障害を起こすようになりました。

閉鎖病棟に入院しました。

 

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意識障害起した夫は、ここがどこなのか、自分が誰なのかよくわかっていない泥酔者みたいになりながら、必ずそこにはいない息子の世話をしようとしました。

バナナを輪切りにして息子の朝食用のお皿にのせたり、保育園に送って行くといって息子を探したり、私を息子だと思い込んで抱き上げようとしたり、その時の彼の表情はとても張り詰めたものでした。

苦しそうな。

何かを我慢しているような。

そんな表情で、焦ってそこにいない息子を探すおかしくなった夫。

「冷蔵庫の中にはいないよ」

と言っても私の声は届かない。

声をかけた私を息子と思い込みぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。

私を息子だと思い込み抱き上げようと奮闘する虚ろな目を見て、これは私のせいだと思いました。

 

意識障害中に私を自分の母親だと思い込み甘えてくることが何度かあったのですが、その時は、普段の夫よりも緩んだ柔らかい表情をしていたのに。

夫にとって育児。

夫にとっての育児をこんなにしたのは私だ。

 

ある日、意識障害を起こした夫の横に添い寝して、背中を撫でながら(そうしないと徘徊するので)私のことを自分の母親だと思って甘えてくる夫にこう言いました。私の声は届かないだろうと思ったけど言いました。

「何もできなくても好きだよ。いろいろ言ってごめんね。そのままでいいから。大丈夫だからね。何もできなくても好きだから」

夫は私にこんなことを言われたとは知らないと思います。

意識障害を起こしている間の記憶はいつも失くしていたので。

次に意識障害を起こした時にも言いました。

しばらくして夫は意識障害を起こさなくなりました。

私たちは別々に暮らすようになりました。

 

自己破産とか、夫の風俗通いとか、自宅の差し押さえとかありましたが、そんなの今となっては別にどうでもよくて、大したことないから、何もできなくても好きだよって夫の意識がある時に一回くらい言っておけばよかったなと思たりしてます。

 

まあとにかく他人が別居するしないにはそれぞれの理由があるので、周りがとやかく言わないことだね。