髪を剃り落とされた青白い頭皮には蛇の腹のようななまめかしさがあった。
その陽に晒されたことのない色のない薄い皮膚におそるおそる手を触れると思いのほか弾力があったので、数回ピタピタと叩いた。
もう全然痛くない。
風呂場の姿見の前で午前中に皮膚科で貼られたテープを剥がしてみると血はすっかり止まっていた。
よかった。
よかったじゃないよ。
きのうの夜遅くに彼氏と取っ組み合いのケンカになった。図体のでかいパワー有り余るバカ男に足払いをされ、受け身を取らずにどしんと倒れた拍子に本棚に頭をぶつけたら面白いほど血がピューッと噴き出しバカ男は血に驚いて逃げたのだ。
笑ってしまう。
実際、血をダラダラ流しながら笑った。
高らかに笑った。
逃げるなんて。
「あなたは彼女の家族じゃない。僕こそが彼女の家族だ。彼女と彼女の子どもをあなたより大事にできるのは僕だ」
彼氏はそう元夫の留守番に吹き込んだらしい。
「どうしてそんなことするの?バカなの?」
「僕の前で足を組まないでほしい」
「質問に答えなさい」
「会わないでほしい。家に入れないでほしい。離婚してるのにおかしいよ。あなたはおかしい。だいたいあいつが先に挑発して来たんだろ。あんな口汚い罵りをされたのは初めてだよ。最低な男だよ」
「質問の答えは挑発されたからでいい?勝手に私のLINEを見るからでしょ?」
「足を組まないで」
「うるさい」
「僕は悪くない。あなたがおかしい」
「そう」
「僕の親に話すよ」
「どうぞ」
「会社にいられなくなる」
「脅すの?」
「携帯を見せて」
「嫌です」
私の手から携帯を奪おうとする彼氏、奪われまいと逃げる私、手を掴まれ、振り解く、腕を掴まれ、振り解く、携帯を奪われる、キレる彼氏、携帯を奪い返そうと彼氏のみぞおちに肘鉄をくらわせたその時、ドシーンと倒れ頭から生暖かいものがつーっと流れてくる。
痛い。
「いたい」
「ごめん」
「え、何?いたた…血が…」
「ごめん」
ティッシュで血を押さえてる間に彼氏は居なくなっていた。
そんなことある?
血をダラダラ流してるのにその場から立ち去ることある?
あ、警察を呼ばれると思って?逃亡?
ははははははは
やばいな。
とんだ「家族」だな。
そっか〜
家族か
ははははははは
逃げてどうするんだよ。
警察呼ぼうかな。
頭痛い。血出まくるな。
えーっと鏡、鏡、どんな感じに切れてるんだろ。
あ〜全然大したことない。頭って血が大袈裟に出るんだな。
警察、どうしようかな。
呼んだら息子が起きるからやめようかな。
頭痛い。
病院は行かなきゃな。
タクシーで今から行こうかな。
「今からこっち来てくれない?」
「なんで」
「あなたが挑発するからケガしたの。頭から血が出てる」
「警察と救急車よびなよ。僕が呼ぶよ」
「やめて、息子が起きるでしょう?こちらに来ないならもういいです。切るね」
こいつも彼氏に、いや、もう元彼氏だけど心情的に、とにかくあのバカ男に「僕たち家族のことに口出しするな」て言ってたんだよね。
「家族」なわけあるかよ。
お前らが私の家族なわけあるか。
血を流してもひとりなのに家族なわけないじゃん。
あ、血、止まったみたい。
頭痛い。
ロキソニン飲んで、シャワーで血を流して寝よう。
救急車とパトカーのサイレンが近づいてくる。
もしかして元夫が呼んだのかな。
まあいいや。
もうねむい。
もう誰にも会いたくない。
おやすみなさい。
私の家族は息子だけだよ。
当たり前でしょう。
おやすみなさい。
さようなら。