気に入ったデザインのお洋服があったので色違いで4着買った。
白、紫、黒、紺のラインのきれいなシンプルなカットソー。
気に入ったお洋服が手元にあるのはうれしいし、こころが落ち着く。
郵送で届いたそれらを段ボールから取り出してクローゼットに仕舞っている時にいつものあれがきた。
(またお前は同じ服をそんなに買ったのか)
「私の勝手でしょう」
(そんな服の買い方はおかしい。頭がおかしい奴の買い方だ)
「やめて」
(無駄遣いをする女は最低だ。お前は最低の女だな。いくらしたんだ?いくらしたんだ?旦那には言ったのか?旦那とは仲良くしてるのか?お前にはもう後がないぞ。今の旦那に嫌われたらお前はおしまいだ。野垂れ死にだ。ホームレスだ。女がひとりで生きていけるほど社会は甘くないぞ。お前は旦那に見捨てられたらホームレスになって犯されて殺されるんだぞ。わかってるのか?無駄遣いをするな。旦那に気に入られるようにしろ。笑顔を絶やさず素直にはい、はい、言えないといけない。不機嫌になるな。笑え。金は使うな。男が喜ぶ女でいろ。男に嫌われたら女はおしまいだ)
「やめて!」
(女は愛想良くだ。賢いと言われて喜ぶな。何もわからないフリをしろ。それがいい女だ。旦那に見捨てられない女だ。みんなそうしてる。お前の同級生の真理子ちゃんも知恵ちゃんも、川島のおばさんも、山田のお嫁さんもこの辺りは女はみんな賢い。本当の賢さだ。できないお前は頭がおかしい。お前だけが頭がおかしい。頭がおかしいから金を使う)
「黙って」
(親に向かって歯向かうのか。教えてやってるのに。素直にきけ。お前はその性格を治せ。病院に行って治してもらえ)
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい」
(ほら、頭がおかしいから当たり前のことを言われてそんなに怒るんだ。お前は普通じゃない。旦那に見捨てられるぞ)
父の声が頭の中でぐわんぐわんと響く。
父はそこにいないのに、父の饐えた体臭が鼻先をかすめた気がした。
父はここにいない。
だから父は私を咎めない。
わかっている。頭ではしっかりわかっている。
だから大丈夫だということも、私はもう自由だということも。
自由なの?
こんな声が響くのに?
落ち着くためにクローゼットの中の洋服を撫でる。
自分で選んで自分のお金で買ったもの。
手触りのよいシルクのワンピース、丈の長いシフォンのブラウス、花柄のロングスカート。
実家を出てから積み上げ築いてきた私の生活の中にあるお洋服。誰にも咎められるはずがないもの。
大きく息を吐いてベッドに大の字になった。
父がいればこの行為も咎めるだろう。
はしたないと。
でもここに父はいない。
大丈夫。
大丈夫。
実家にいた頃、父は日常的に私を否定する言葉を私にぶつけた。毎日のように、躾だと言って。
それがあまりに当たり前のことだったので私は私が傷つけられていることがわからなかった。
だってお父さんってそういうものでしょ、仕方ないでしょと思っていた。
それに父は私が愛想良く従順にしていればとても機嫌がよく優しかった。
愛想良く従順な、そうすることで男性から気に入られ金銭を得ることで生活している父が養う父の恋人達のように。
母も父の前では愛想良く従順だった。
心を殺して愛想良く従順にして生み出された母の闇は私に向けられた。私や妹や弟に。
私達は成人した後、揃って心療内科の世話になり、1番優しく1番愛想良く従順な弟は自死した。
父の価値観は間違っている。
私にはもう旦那がいないし、ひとりで十分に稼いでひとりで息子を育てている。
ひとりで立派にやっている。
愛想良く従順にして男の人に養ってもらう必要はない。
自由だ。
わかっている。
それでも、ふとした時にやってくる父の声に私は怯えて暮らしている。もしここに父が居たら言うだろう言葉が頭の中に鳴り響き身動き取れなくなり息ができなくなることは苦しい。
父が死んだら自由になるだろうか。
この思いを父にぶつければ自由になるのだろうか。
わからない。
もう考えたくもない。
そろそろ息子が帰って来る。午前中に作った緑とピンクのゼリーがそろそろ固まっているだろう。それを賽の目に切ってソーダ水をかけてあげよう。缶詰のみかんとさくらんぼを入れよう。
喜んで食べる様子が目に浮かぶ。
大丈夫。
父はここに居ない。
私は息子を愛している。心から。