横殴りの雨が降る中を息子の手を引いて歩く。
傘はさしていない。マッキントッシュのゴム引きのレインコートにレインブーツを履いているから横殴りの雨も顔がびしょびしょになるだけて頭や衣服などの濡れたら不快なものはすっぽりと快適に守られているから平気。
水色のレインコートを着た息子ももちろんレインブーツを履いて、ランドセルには虫柄のビニールのカバーをかけている。下を向いているから表情は見えないけれど、その顔が曇っていることは容易に想像できる。
「プールに入りたかったのに」
先程から何度目かの抗議。
先月から水曜日はプールの日と決めてふたりで区民スポーツセンターのプールで泳いでいたのだけど、私が手術をしたので今日はプールに行けない。息子はそれが不満なのだ。
「仕方ないでしょう?お母さんは手術の後で一緒には入れないんだから」
「僕はひとりで入れるのに」
「小学3年生までは保護者が一緒じゃないと入れないの。そういうルールなの。前から知っているでしょう?同じことを何度も言わせないで」
息子は立ち止まる。何も言わないで私のことをじっと見る。
言葉での抗議が受け入れられなかったから行動にでたらしい。そのへの字に曲がったお口をお母さんがどれだけ愛おしく思っているかあなたにはわからないでしょう。
今からプールまで走って行って、このお腹に開けられた穴を、内臓が引き摺りだされた穴なんて適当にガムテープなんかで塞いであなたと手を繋ぎプールに飛び込みたい衝動をどれだけ必死に抑えているかなんて。
めちゃくちゃにやろうかな。あなたの願いは全て叶えてあげたい。なんだってできる。
病がこの子といる時間を奪うのならそのくらい許されるでしょう?
そう思ってしまうのを。
「来週は行けるよ」
「今日行きたかったの」
柔らかい手が私の手をキュッと握る。小学一年生の私の子ども。
「あ〜あ、つまんない」
「ね。お母さんもつまらない。ねぇ、今から公園にバラを見にいかない?満開だから雨の中で見たらきっときれいだよ」
「うん、いいよ」
息子は公園に向かって走り出す。
私は息子を戯けて追いかける。
(2週間は安静にしてください。激しい運動はしないで疲れたらすぐに休憩するようにしてください)
医者の言葉。
子どもと走るのは激しい運動だろうか。
きっとちがう。
大丈夫。
激しい運動というのはトライアスロンとか冷蔵庫を持ち上げたりとかだから。
私が追いかけると息子は笑い声をあげる。
薄紫のバラ、ピンクのバラ、黄色のバラ、真紅のバラ、白いバラ、オレンジのバラが花壇に咲き乱れている。
横殴りの雨の中私達は一つ一つ丁寧にバラを見た。
ミスター・リンカーン、オールド・ローズ、ロサ・ガリカ、アルバ・セミプレナ
名前を読み上げる。
これはオランダ、これはフランス、これはエクアドル
「僕、エクアドルに行ってみたい。昆虫がたくさんいるから」
「どこにでも行ったらいいよ」
「大人になったら?」
「うん」
「大人になったらプールもひとりで入れるね」
「うん。プール、お母さんの都合で我慢させて悪いね。ありがとうね」
「あのね、僕ね、大人になってなんでもひとりでできるようになってもお母さんと一緒にいるよ。もうそう決めてるの。お母さんと一緒が最高だから」
それはそれは光栄です。
あなたが大人になってもまだそう思っていたなら一緒にエクアドルにいきましょう。
ふたりで色鮮やかな昆虫を見て、今日のことを思い出して笑いましょう。
ありがとう。