息子を寝かしつけてリビングに戻るとカーテンの外された窓がもわりと明るい。その明るさに一瞬たじろいだあとに、ああそうか、昼間カーテンを洗ってベランダに干してあるんだと思い出す。
東京の夜は明るい。特に引っ越してきたこのあたりは深夜でも窓の外は明るくて、いつも部屋の中のほうが闇が濃い。
ベランダに出ると右にも左にも前にもタワーマンションと高層ビルがある。そのたくさんの窓のいくつかには電気がついている。あそこにも人がいて灯りのもとで何かしらをしているのだなと思う。
仕事とか生活のあれこれとかを。
カーテンを取り込んで窓辺に吊るす。踏み台に乗ってカーテンレールにフックをカション、カションとかけていく。
カション、カション、カション。窓の外からは救急車のサイレン。
救急車の中にも人がいるんだなと思う。
病気か怪我の人、その人を助ける人、運転する人。
人がたくさんいる。たくさんいる人の中から必要な人を見つけ出して私達は言葉を交わして関係を作る。
昨日、3月に死んだ猫の兄弟猫の飼い主だったという人から連絡があった。
血統書の情報をもとに兄弟猫を探すというサイトがあるのだ。
そのヘリコプターのパイロットだという飼い主とやり取りして兄弟猫も突然死していたことを知った。
飼い主は「猫はおそらく先天的な病気だった」「あまり良いブリーダーではない」と書いていた。
「今でも思い出すと胸が潰れるようだ」「子どもを亡くしたようです」と。
「私もです」と返事をした。
こんなことを口にすると狂っていると思われて面倒なのでしないが、私は息子と同じだけ、産んだ我が子と同じだけ、全く同じだけ猫を愛していた。
猫もそれをわかっていて、なんでも、食事もトイレも外出も遊びも息子と同じようにしたがって、それが叶わないと機嫌を損ねた。
息子が食事を摂る時は必ずそのテーブルに上がり寝そべり、わざとではないふうに皿に尻尾を入れたし、私がトイレに行く時はふたりともついてきたし、私と息子が外出する時は、毎回、え?なんで僕だけお家なの?と不思議そうだった。毎回、毎回、不思議そうな表情をして私達を見送った。目を見開いて、ぽかんとこちらをみて。それはなんとも健気で愛おしい表情だった。
猫は私を信頼していた。
私からの愛を。
それなのに守れなかった。
亡くしてしまった。
なんてことだろうか。
そんなことってあるのか。
私は許されないことをしたのだと思う。
「ずっと一緒にいてね」と毎日言っていたのに。ふわふわの毛を撫でながら言っていたのに。
私は裏切ったのだ。
ひとりでいかせてしまった。
今頃、ぽかんとしているの?でもお母さんは必ず帰って来るって知ってるでしょう。
信じてるでしょう。
いつもより少し時間がかかるからもう少しだけ待っていて。
大好きよ。
あなたは私の大事な子どもだから。
窓の外はもわりと明るい。
人間の暮らす街が作り出す明かり。この明かりのもとには人と共に暮らす猫もいるのだなと思うと少し心が晴れる。
人を信頼して人と共に生きる猫達が全員死ぬまで最高に幸せでありますようにと窓の外の明かりに願う。