子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

小学生のいる家

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息子が小学生になってから家がどんどん実家みたいになってゆく。

そんなふうにするつもりなんて少しもないのに、気がつけば、ごくごく自然に滑らかにそういうふうになっていた。

冷蔵庫に貼られた給食予定表を手始めに和室には運動会使ったポンポン、リビングの無印の棚にはクワガタの住む虫かご、シロヘリオオツノカナブンの幼虫ケースが5個、水槽には色鮮やかなベタ、リビングのローテーブルには進研ゼミの付録であるヒマワリ観察表、卓上カレンダー、ソファの横には図書館で借りた本がエコバッグに纏めて入れてある、キッチン洗いカゴにはサーモスの水筒が3つも干してある、冷蔵庫の中には自家製の梅シロップ、自家製の胡瓜の漬物、自家製のレモネード、ベランダにはたくさんの子ども服とシーツ、バスタオルが揺れている。

夥しい数のものたち。

私が全て把握して管理しなければいけないものたち。

ここは私達のおうち。私とかわいい息子の。

私は幸せなのだと思う。

この家の生活。夥しいものに囲まれた雑多で慌ただしい生活。

生きることは生臭いのだと思い出すような。

生きることはあまりに雑多で、笑いそうになるくらい生臭いのだと思い至るような。

 

息子がいなかった頃は、生臭さから目を背けたくて、美しいものばかり端正なものばかり無機質なものばかりを部屋に置いていた。

その頃の私がみたら眉を顰めるであろう、カオナシのおもちゃが置かれたテレビ台の上のテレビを汚れ防止の安っぽいブランケットがかけられたソファで寝そべりながら観ている。

テレビからはフランスのジベルニーにあるモネの庭が映し出されて、その美しさを旅人が絶賛している。

モネも庭に行ったことを昨日のように思い出す。若く美しく飛び跳ねるように元気だった頃に恋人と行った。そうあそこに立ち太鼓橋の写真を撮った。美しいものしかみたくなかったあの頃。

ソファで思いきり伸びをすると腕の付け根の骨がバキバキと音を立てて鳴った。

ベランダに面した大きな窓を開けると雨の匂いのする冷たい風が入ってきて気持ちがいい。

口から細く息を吐く。

息子が育てている朝顔に本葉が出ているから明日起きたら教えてあげよう。

私は自分の体がしっくりとこの家に馴染んでいるのを感じて嬉しくなる。

ここは私の家だ。

私は歳をとって骨が軋むし、もう自由にジベルニーに行くことは難しいけれど、自分の生活を愛せるようになった。

母親としての生活をありのままの生臭い生活を私は愛している。

よかった。