夫の躁状態は続いています。
自己破産を控えているくらいなので浪費行動は少ないものの、突発的な行動、過眠、もちろん私への理不尽な敵意もあります。
そして躁だから自信満々かと言えばそうでなくて、調子よくあれもこれもと行動するくせに、少しのネガティブ要素でイライラして絶望してしまいます。
例えば、先日、夫の提案で家族で水族館へ行きました。
電車で片道1時間程度という息子にとってはなかなかの遠出です。
秩序と自由を愛する息子は、普段、近場の公園や児童館、または一駅先のデパートのおもちゃ売り場といったよく知った場所で思い切り遊ぶのを好むので、遠出は夫の躁状態の時くらいです。
2歳5か月の息子はイヤイヤも下火となり、電車の中で騒ぐわけでも泣くわけでもなく、車窓と私との会話を楽しみ1時間ずっと機嫌よくしていました。
いつもいい子過ぎる息子に私は「たいくつじゃない?」「バナナあるよ?」「お母さんのお膝に座る?」(膝にのせて)「電車ガタンゴトン息子と乗れてうれしい」といつも通り構いすぎて「おかあしゃん、息子(名前)のことしゅきだねぇ」と息子に笑われました。
夫は過眠の傾向のせいか電車の中では眠っていました。
電車を降りて目的の水族館へ向かう時、夫が「おかしい。水族館がない」と言い始めたので、「そんなはずないでしょ」と適当に流していると、
「ない!ない!」と不安そうに地図をみる夫。
ん?
様子がおかしい。
「そんなことないよ。ほら、こっちでしょ」と人の流れに乗って適当に進む私。
水族館は無事ありましたが、今度は「階段がある!あんなところに階段が・・・!ベビーカーでは絶対に登れないよ」と夫は騒ぎ出しました。
「大丈夫だよ。スロープがあるんじゃない?行ってみよう」と行くとスロープはあり問題なく水族館に入れましたが、夫はこの時点で少し疲れているように見えました。
さて、水族館へいざ入館。
息子との初めての水族館にワクワクの私と息子。
しかし入ってみると薄暗い空間とキラキラのイルミネーションに突然現れた遊覧船に息子は泣き出してしまいました。
めったにない号泣です。
私たちが訪れたアクアパーク品川は、少し大人向けに作られた小規模な水族館で、照明やプロジェクトマッピングでの演出が評判の水族館だったのですが、その演出のどれもが息子には不快要素でしかなかったようでした。
私もそうなのですが、息子も大きな音と強い光が苦手です。
「こわい!おうち帰る!」と泣き叫ぶ息子、落ち込む夫。
薄暗いキラキラゾーンを抜けて落ち着いたものの息子は「しゅーじょっかん(水族館)こわかったねぇ!息子(名前)がんばったねぇ!」と私に抱きかかけられながら繰り返しており、水族館は完全にお化け屋敷的な場所として認識されていました。
その後、ペンギンやアシカをみて少し機嫌が直ったものの「もう帰る」と息子が繰り返すので、私たちはわずか30分ほどの滞在で水族館を後にしました。
躁時期故の行動力でもありますが、夫はきっと私との別離を前提として、息子のために家族の思い出を作ろうとして水族館へ行こうと私たちを誘ったのだと思います。
でも息子にはそんなことは関係ないから帰宅してからも「しゅーじょっかん、こわかったねぇ」と繰り返して夫を落ち込ませ、夫は負けじと息子に「また水族館いきたい?」と何度も尋ねていました。
躁状態の夫と一緒にいると傷つくことも、ハラハラすることも多いです。
だいたい夫は私と一緒に居たくないと思いながら仕方なく私と暮らしているのですから、そんな状態そのものが私を容赦なく傷つけます。
精神疾患者と共に暮らしていると、これは共依存なのか、自己犠牲に酔っているだけなのではないかと常に自問することになります。
周りからも別れを勧められますし、夫からも別れたいと言われます。
そんな時には冷静にこれまでとこれからのことを書き出してみます。
夫の病状の変化、私への態度の変化、息子への態度の変化、家族でいることのメリット、デメリット、息子への好影響、悪影響。
そして私の夫への気持ち。
罪悪感
憐憫
戦友のような友情
嫌悪
それでも湧き上がる愛おしさ