さっきベランダに出て洗濯物を干しました。
息子の保育園用のシーツと布団カバーです。通常は週末にしか持って帰ってこないのですが、お昼寝中に隣の子がお漏らししてしまい息子の布団も濡れてしまったので持って帰ってきました。
夜風にはためくシーツからは洗剤の匂い。
風はもう全然冷たくなくて、春の生温い風で、ああ季節が変わったんだなと思いました。
桜も散ったし。
弟のことを思いました。
もう何千回と考えた、何が辛かったのだろうということ、そんなに辛いのとがあって1人で死んでしまうなんてかわいそうにということ、助けてあげられなくてごめんということ、幼い頃の弟のこと、私が8歳の時に生まれた弟がとても可愛くて小学校の先生に毎日弟の話をしていたこと、母親に溺愛され父に押さえつけられ反抗期もなくずっと生きづらそうにしていたこと、私のことは好いてくれていて実家と絶縁した後も連絡をくれたこと、モルモットを飼っていたこと、ハムスターを飼っていたこと、2匹をとても大事にしていたこと、父の口利きで自衛隊に入隊して被災地に派遣されてから呑気で大らかな性質がなくなってしまったこと、被災地のぶくぶくの水死体より「女子供より俺を助けろ」などと暴言を吐く年配の男性達の対応が辛かったと言うので私がそんな奴らロクな死に方しないし特定して今からお姉ちゃんが社会的に殺してあげるから大丈夫というと相変わらずだと笑ったこと、優しい子だったこと、いい子だったこと、あまり賢くなくて大人しくていつも周りに気を遣っていたこと、盲導犬の訓練士になりたいと言っていたこと、優しいこと、動物が好きなこと、優しい、弱い、かわいい弟だということ、ずっといると思っていつでも話せると思って話さなかったこと、私は愚かだということ。
今日で弟が死んで1カ月が経ちました。
信じられないことに、未だに弟の死が信じられないでいます。
1カ月も経ったのに。
来週、弟の四九日の法要があり実家に帰省するのですが、その時にこそ、今度こそ、弟が居て、ごめん、驚かして、生きてるから泣かんといてと言ってくれる筈だ、きっとそうだ、絶対そう、と思っているのです。本気で。
いかれてるってこと。
骨になったことを知ってるのに。
死を悲しむって救いがないね。
考えても行き止まり。
でもそれでいい。
止まっていたい。
悲しいままでいたい。
最後に撫でた冷たくなった弟の髪の感触を思い出して可笑しい気持ちになる。
生きてる時は髪なんか撫でなかったのに、生きていたら、お姉ちゃん何してんの、ちょっとやめてーやと笑うでしょう。神妙な顔をして髪を撫でて可笑しいね。
白髪なんて一本もないような年でいってしまって、お姉ちゃんはとても悲しい。救えなかったのに悲しいと思うことを許して。