お風呂から上がり寝るまでの時間は、息子とのんびり過ごす幸せなひととき。いつも絵本を読んだり、トランプをしたり、私が即興で作った童話を話したりする。
今日は息子が「お母さんの子どもの時の写真がみたい」と言ったので押し入れから古いアルバムを出してきて2人でページを捲った。
七五三の、遠足の、家族旅行の、笑顔の、顰めっ面の、かしこまった顔の幼児の頃の自分の写真。
子どもの頃の写真を見ると、こんな頃から私はなんて長く生きているのだろうと時間の重みにくらくらする。
42年も生きていることが間抜けでやりきれなくなる。命が鬱陶しくなる。
寝そべりながらアルバムを覗き込む息子のそのはちきれんばかりの白い肌と艶々の髪、瞳の輝きは新しい命の美しさを私に見せつけて私に老いの自覚を促す。
醜い老婆になった自分を確認したい気持ちが抑えてきれなくなり息子が歯磨き用にしている鏡を急いで手に取って顔を映してみるとそこにはごく平凡な中年女が映る。
白い肌、豊かな黒髪、目尻に皺はあるものの老婆とはいえない自分の顔。まだ生きる気満々みたいな健康そのものみたいな幸せそうなぷりぷりの顔に笑いそうになる。
私は健やかで幸せで老いはごく自然なことなのに、何を恐れているのだろう。
私に老いは醜い忌むものだと思わせたのは誰だろう。
「お母さんの子どもの頃のお顔は僕のお顔に似てるね」
「ね」
「これ何?小屋?」
「鶏小屋だよ。昔ね、ここでニワトリを飼ってたの」
「へ〜ニワトリかあ。なんて名前だったの?」
「ふふふ、名前なんてないよ。ペットじゃなくて家畜だもん。産んだたまごを食べたり、お肉を食べたりするために飼ってたんだよ」
「お肉を食べたの?殺して?」
「そうだよ」
すっかり忘れていたけれど、私の子どもの頃、実家では淘汰の日というのがあった。
淘汰とは飼っている鶏を絞めること。淘汰の日とは、鶏を殺して食べる日。
その頃、実家には3棟の鶏小屋におおよそ40匹の鶏がいて祖父の母がその世話をしていた。
実家が養鶏を生業としてたわけではなく、多趣味な祖父が趣味のひとつとして鶏をどこから譲り受け増やしていたのだ。
淘汰するのは歳をとった雄鶏で、雄は卵も産まないし、歳をとると他の雄にいじめられて羽をむしられて地肌が見えた体は見窄らしくて痛々しいものだったので淘汰は可哀想というより、終わらせてあげるという意識が子どもながらにあった。
淘汰の日は、可哀想な見窄らしい命を終わらせてあげる日。
淘汰の日が近づいていると感じる。
淘汰の日。
どうして気が付かなかったのだろう。
別れを決心した人の顔を思い浮かべる。
気持ちはすっかり固まっている。
祖父のようにうまくできるだろうか。
見窄らしい痛々しい命が苦しまないようにすぱりと刃を振り落とせるだろうか。
私は。
出刃包丁を握るゴツゴツした血管の浮き出た祖父の手。
庭石に落ちた鶏の血の鮮やかな赤。
古い、でも鮮やかな記憶を暖かな布団の中で思い出す。
「お母さん?」
「ん?」
「どうして泣きそうな顔してるの?」
「泣きそう?大丈夫だよ。眠いだけ」
「もうすぐお父さんと会えるの楽しみ」
「そう。久しぶりだもんね」
「お父さん、もう元気になったかな?病気治ってたらいいね」
「ね」
「お父さん、救急車に乗る時、お母さんの名前呼んでたね。何回も」
「うん」
「お母さん、泣いてるの?お父さんが心配?」
「大丈夫。もう大丈夫だよ」
そう、もう大丈夫。
決めたことだから。
淘汰の日がくる。
私がそう決めた。
終わらせないとかわいそうなものを終わらせよう。