十五夜の満月が美しかったのでベランダでお月見をした。
お団子は売り切れていたので、バナナとヨーグルトを入れた小さな丸いパンケーキを焼いて蜂蜜をたっぷりかけて食べた。
狭いベランダに椅子を出して座る。隣には息子。
息子はパンケーキを食べ終わりポテロングを食べている。
夕飯の餃子も胡瓜とトマトのサラダをもりもりと食べた後なのに。
「たくさん食べるね」
「うん!」
誇らしそうに笑顔で頷く。私はこの子が可愛くてたまらない。
「いい子ね」「かわいいのね」「あなたは素晴らしいのね」
親バカで自分でも呆れるのだけど、これらの言葉が日常的についつい口をついて出てしまうのだ。
狂ってるのかもしれないと思う。こんなに我が子がかわいいなんて。
私の母は一度だって私を褒めたことなんてない。
父も。
いい子なんて言われたことない。あるはずがない。
母も父も子どもなんて鬱陶しいという態度を遠慮なく出す人だった。母はよく「私は子どもが嫌い」と言っていたし、でも後継の子を産むのが私の役目だから男の子が生まれるまでは子どもを産まなくてはいけないとも言っていた。
そして私を産み、妹を産み、弟を産んで、子どもを産むのをやめた。
弟は実家と縁を切って、その後自分で死んだ。
よく子どもは邪魔だと言われた。
口答えをすると文句があるなら出て行け、お前に使った金を返せと父に殴られた。
父は剛健な体つきをしていたのでガリガリだった私の体吹っ飛び床に叩きつけられた。
父は何ごともなかったように野球中継を観て、贔屓のチームが勝つと機嫌が良くなり、ニヤニヤしながら「大丈夫か。お前も女やったらもっも可愛げがないとあかん」と言った。
ビールを飲んで赤らんだ顔、母は一度も箸を止めずに夕飯を食べていた。ガツガツと形容しても差し支えない勢いで。あの時の母の口のまわりについたマヨネーズ、ぶくぶくに太った体、私を見る(お父さんを怒らせるな)というイラついた目。
こんなことが月に2、3度はある生活だったけれど私はそれが当然だと思っていた。私が悪い子だから出来損ないだから仕方ないのだと。今もどこかでそう思ってる。
だからこんなに自分の子どもが愛おしく感じることが間違っているように感じる。
私は子どもを愛してる母親になりたくてこの子を愛おしく思おうと必死なのかもしれない。
不安が湧いてくる。
私は自分がなりたかった母親像を演じてるだけなのではないか。
どんどん湧いてくる。
考えても仕方がないこと。
もうやめよう。
「苦難は色気になるけれど、苦悩はだめ、険しい顔になるから、だめよ」
美容皮膚科の医院長が私の顔にヒアルロン酸を打ちながら言ってたではないか。
苦悩は無駄だ。
やめよう。
過去に囚われて馬鹿みたい。
月は冴え冴えと美しい。
隣にちょこんと座る息子の横顔が、口の周りについた菓子のカスまでもが胸が苦しいほどに愛おしいのに何を悩むのか。
季節の変わり目は過去を思い出しすぎる。
「お母さん、月って銀河が発生してまだ少ししか経ってない頃に地球に火星が衝突してできた破片なんだよ」
息子が空想なのか事実なのかわからない宇宙の話をしている
「そうなの」
「うん。お母さん、宇宙はいつかなくなるでしょ。その後に何が残るかわかる?」
「わからない」
「何もないよ。真っ暗。またひずみが発生して宇宙ができるまでは真っ暗。でもね、大丈夫。僕のお母さんのことが好きって気持ちとか大事なことは見えないけどずーっとある。見えないだけ。だから全部が消えても怖くないからね」
「そうなの?」
息子はとても賢いので私にはよくわからないことをたくさん話す。
「うん」
「怖くないなら、よかった」
宇宙のことはよくわからないけれど、息子が私を好きでいてくれるなら、それはとてもうれしい。