ザッシュ
ザッシュ
ザッシュ
苔の生えたプールの底をデッキブラシで勢いよく擦ると苔は面白いほどよくとれて、鮮やかな水色の底が見えた。
保育園の休園中にプール掃除をしないかと息子のお友達のお母さんに誘われた時は正直気乗りしなかったけれど、初夏の日差しの中でプール底を擦るのは爽快だった。
「いいお天気だから日に焼けるね」
私を誘ってくれた人が強い日差しに目を細めて言う。
「でも気持ちいい」
「うん、楽しいよね」
お互いツバの広い帽子を被り、マスクをしているので目しか見えないのだけど、2人とも目は笑っている。
濃いマスカラと目尻のシワ。この人は優しい目の色をしているなと思う。
ザッシュ
ザッシュ
水に浸かっている足が冷たくて気持ちがいい。
ペディキュアの赤が水の中で鮮やかさを増して生き物じみて見える。
ザッシュ
ザッシュ
プールの水に浸かったそれぞれの女の足の形、爪の色、全員が母親であること、それぞれに子どもがいること、それぞれの人生があることが幸福なのかグロテスクなのか強い日差しの下ではなんだかよくわからなくなる。
水面がキラキラ光っていてきれい。
女たちは、母親たちは、小鳥のようにピチピチと喋り笑っている。
たわいもない話。
今日の夕飯の
配偶者の
子どもの
親の
別れた配偶者の
仕事の
自分の話。
ここの人たちは皆明るくてさっぱりした性質で引っ越してきた当初はそれまでいた土地との違いに驚いた。
集まっても人の噂話をしないし、配偶者の職業も家賃も探られない。そんなことがあるなんて。
髪を茶色に染めた歳の若いパートタイマーのお母さん、シングルの生活保護を受けているいつも同じ服のお母さん、子どもの髪を茶色染めている大きなエンジン音の車に乗っているお母さん、夜のお店で働いている言葉遣いが乱暴なお母さん、彼女達を無自覚に見下していたことに気が付き恥じた。
彼女達の美しさ、無邪気、明朗、優しさ。
彼女達の姿勢の悪さ、歩き方のだらしなさ、毛先の傷んだ髪、要領の悪い話し方、子どもを叱る大きな声に眉をしかめ、私はこの人達と違うと思っていた愚かで傲慢な自分を思い出すと馬鹿みたいだと思う。
本当に愚かだったと。
彼女達は間違いなく美しいのに。
話してみればそんなことは明らかなのに。
前の保育園の母親達も確かに美しかった。
よく知った雑誌のモデルや舞台女優はもちろん、アクセサリー作家や大学教授、料理教室経営もハッとするほど整った顔をしていた。
皆一様に気が強く貪欲で気の優しい収入の多い配偶者がいた。
勝ち抜いてきた女達だった。自分の努力と持って生まれた幸運で勝ち抜いてきた自信に満ち溢れた女達。当たり前のように存在する恋人、薬、整形、脂肪吸引、業界の裏話、人脈、掌返し、落ちていった人に向ける冷ややかな目。
それが彼女達の良さだったし、私は嫌いではなかったけれど、疲れてしまった。
それに夫が精神科に入院したら、彼女たちは私に話しかけなくなったし。
これまで挨拶程度しか交わしたことのない彼女達の配偶者がいつでもなんでも相談にのるよとLINEのIDの書いた紙を下駄箱に入れておいてくれたことを、食事をご馳走してくれたことをご丁寧にお知らせして引っ越した後は何の交流もない。
今も美しく貪欲に人生を楽しんでるのだろう。
この日差しの下で。
「プールかなりきれいになったね。今日、誘って良かった。前からもっと話したいって思ってて、話せてよかった」
私を誘ってくれた人がにっこり笑って言った。
襟口の伸びたボーダーのTシャツでも彼女はとてきれい。
「コロナが収まったら子ども達も一緒にどこかに行こうか」
そう提案すると
「うん!四つ葉のクローバーがいっぱい生えてる場所があるの。この前5つも見つけたんだよ。そこに一緒に行こう」
と彼女は言った。
四つ葉のクローバー。最高。