先日は東京にも雪がざんざか降りました。
雪に興奮した3歳の息子は犬のようにはしゃぎ、積もった雪の中を買ったばかりの長靴で走り、転び、笑っていました。
寒さに頬を真っ赤にして笑う息子、暗い空からどんどん降ってくる雪、積もった雪を照らす街灯、人の気配のないシンとした夜の公園に息子の笑い声だけが広がります。
毎日ききなれている息子の笑い声が途轍もなく神聖なもののように感じました。
私は無宗教なのですが「神様、この子が縁あって私のもとに来てくれたことに感謝します」そう思いました。
雪道で足を取られぬように手を伸ばせば、小さな手で私の手を握ってくれる。
赤くなった頬を両手で包めば、私の頬を冷たい手で包み返してくれる。
こんな存在がこの世にあるなんて。
とても信じられない気持ち。
触れたことのない、私には関係ないと思っていた、完全なる愛としか呼びようのない存在。
そうそう、雪が降ると思い出すことのお話。
私は過去に1年間だけ雪深い地方で一人暮らしをしていた経験があります。
今から10年ちかく前のことです。
10年前、私は最初の夫と離婚しました。
離婚は私から申し出たことで、離婚したことには一度も後悔したことはないのですが、この離婚は私の心身に、社会生活に大きなダメージを残しました。
前の夫は、私が19歳の頃に一目ぼれして、なんだかんだあって一緒に住むようになり、20代のほとんどすべてを一緒に過ごした人でした。
そして彼が私より26歳年上で私の指導教官でもある大学教授だったこともあり、その生活は単なる同棲でなく、私生活も研究も彼の価値観に染められることを意味しました。
当時はそんなことまるで気が付いてなかったのですが。
彼は研究者として成功した部類の人でしたので、非常に博識で余裕があり、経済的にも裕福でした。
朝夕の食事はガラス張りのテラスで、決まった音楽をレコードで流しながらでしたし、話す内容は、世俗的なことを嫌った彼に合わせて文化芸術についてがほとんど。
例えば、行為の後にベッドで話すことも「セザンヌの構成主義の作品の中で君が好むものはどれ?」というような。少し変わった不幸なおとぎ話のような日常です。
私も世俗には関心が薄く、社会の動きなどには一切興味がなかったもので、毎日飽きもせずに、絵画について、詩について、音楽について論じ、さすがに哲学系の研究の第一人者であり教育者である彼の主張、見解は興味深く得るものは多大でした。
前夫は週に3回、午後にしか仕事に行く必要がありませんでしたし、夏冬に長い休みがありましたから私たちは、本当にのんびりと、おいしいものを食べ、美しいものを観て、夏はヨーロッパに、冬は暖かい国や温泉に度々長い旅行に出かけました。まるで貴族のような生活。
そんな生活が7年ほど続きました。
私はいつの間には物の値段を見て買うことをしなくなり、家事は家政婦にまかせ、彼が買ってきた洋服を着て、彼に1人で外に出ることを禁じられても疑問に思わず、高級スーパーで買い物をするくらいしか外出する機会もなく、日がな一日家で彼とセックスするか研究するかの毎日でした。
そしてそんな日々の中で私は大学院を卒業し、それを期に結婚しました。
それが転機。
卒業したので私は就職しました。
外の世界に触れたのです。
同時期に私の論文が若手研究者の賞を受賞しました。
評価されたこともあり、仕事はどんどん面白くなりました。
同じ土俵に立ったことで憧れの存在であった前夫の、手の届かない絶対的な知の巨人であると思っていた前夫の弱い部分、卑怯な部分が目につくようになりました。
そしてその彼のネガティブな部分をどうあがいても愛せない自分にも気が付きました。
私は絶対的な存在である前夫を愛していた。彼の書く完璧な論文を愛していた。彼と過ごす日々の余裕を愛していた。
彼を人間として愛してはいない。
弱いところは見たくない。
知りたくない。
あれ、この人は誰だろう?
このくたびれたおじさんは?
私がそう思えば思うほどに前夫は私を束縛し、家から出ることを禁じました。末期にはマンションのエレベーターで男性の隣に立ったという理由でなじられたり、仕事を辞めるようにと彼の実家からも随分と言われました。
私の研究が認められることを自分のように喜んで、あなたが私にぴったりだと勧めてくれた就職先なのになぜ?
どこで何が変わってしまったのか。
毎日の嵐のような言い争いの中で前夫は大きな家を建てました。
2億円の公民館みたいな家です。
前夫は、ローンは年齢的に組めないので貯金をはたいたのだと、これからは仕事ではなく家庭を、たった一人の家族である君を大事にしたいのだと言いました。
全然、雪出てきてないじゃん。
後半に続きます。