子どものいる生活

息子のこと、元夫のこと、私の生活のあれこれ。順風満帆。

双極性障害と家族

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双極性障害、一昔前までは躁うつ病と呼ばれていた気分障害です。

夫の主治医によると、彼が双極性障害を発症したのは、おそらく18歳。

母親の急死が誘因ではないかとのことでした。

 

ここ2,3週間ほどめっきり躁状態の夫。

しかし1年前の躁状態よりははるかにましです。

 

1年前の躁は地獄でした。

今思い出しても、寒気がします。

 

夫が双極性状態になって初めて知ったことなのですが、躁状態って、ハイテンションで根拠なく有頂天になって楽しい楽しいだけではないんですよね。

もちろんそういった面もありますが、焦燥感やイライラ、むしゃくしゃしたり、衝動的になったりするのも躁の症状で、これは本人も辛いそうです。

 

これらの症状に加えて夫の場合は、凄まじい浪費、買い物依存、性的逸脱、多弁、多動、被害妄想、誇大妄想、暴言、暴力がありました。

トレードで毎日200万の損失を出し、週に3日は風俗に通い、馬鹿みたいにたくさんの服、靴、装を買いあさり、派手で安っぽい服で毎日ライブ、サッカー、小旅行と出歩き、夜になれば怒声を上げ、壁を殴る。

会社には行かない。

その頃、月に150万ほどあったお給料、1000万はあった蓄えはあっというまになくなりました。

そして借りられるだけの借金。

私が苦言を呈せば、ひどい言葉で罵られました。

ひどいでしょう。

しかもこれだけの症状が出ていて、元の人格からほど遠いサイコパスになっているのに本人は病気という自覚がないのですから、やってられない。

 

躁状態は本人も辛いでしょうが、家族は地獄です。

悪魔のようになった人間をすっぱり見捨てられれば楽でしょう。

でも、病気になる前の人格を知っているのです。

これまで私にくれた優しさも、笑顔も、泣き顔も、手をつないだ時の温かさも、毎日交わした数え切れない他愛もない会話も、一緒に食べたおいしいご飯も、一緒に見た美しい景色も全部はっきりと覚えているのに、目の前にいる人は別人のように私を拒否して暴言、暴力、無視。

地獄でなくてなんでしょうか。

生活を共にする家族から自分の存在を否定され、拒否され、軽んじられる苦痛は思った以上のものでした。

食べられなく、眠れなくなりました。

安定剤を飲みなんとか正気を保ち、どうにか解決しなければと奔走しました。

そして躁の症状が出始めてから2か月たった頃にようやく夫を病院へ連れていくことに成功したのです。

 

夫は躁状態がひどい時も息子の前では、正気であろうとしていました。

手が震えて、じっとしていられなくなって、イライラが止まらなくなっても最低限の育児をしていました。

息子の前で必死に笑顔を作って、おどけている姿の痛々しいことといったらなかったです。

何度も夫を捨てようとしたけれど、捨てなかったのはこの姿があったからだと思います。

また躁のピークの時に私が胃腸炎で体調を崩した際も必死に介抱してくれていました。

吐き続ける私の背中をさすって、泣きながら、子どものように戸惑いながら「大丈夫?大丈夫?」と。

 

本当に芯まで悪人ならどんなにいいか。

 どうして憎ませてくれないのか。

病気のせいだ。

本来の夫ではないのだから。

そんなのきれいごとだ。

本来の夫?

今、目の前にいる病気の頭のおかしい風俗狂いがうその夫だと言うの?

目の前にいる夫も含めて本来の夫だろう。

これも夫なんだよ。

受け入れられないなら捨てるべきなんだよ。

ねぇ、お願いだから、正気に戻るか死ぬかしてよ。

ダメだ死なないで。

居なくならないで。

私が何とかしてあげるから。

お願いだから、私のことを拒否しないで。

 

眠れない夜に繰り返し巡る思考。

躁状態がこれ以上悪化せず、もうあんな日々がどうか来ませんように。

 

明日は、家族でお台場にガンダムを見に行く予定です。

 

平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世の中には、毎朝めがさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちににいる。 ああ今日もまた一日を生きて行かねばならないのだという考えに打ちのめされ、起きだす力も出て来ない人たちである。耐え難い苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独と寂しさ、はてしなき虚無と倦怠。

『生きがいについてー神谷美恵子コレクション』著 神谷美恵子